・・・退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は大学時代の旧師に泣きついて、史学雑誌の編輯の仕事を世話してもらった。ところが、一代は退院後二月・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・診立て違いということもあるからと、天王寺の市民病院で診てもらうと、果して違っていた。レントゲンをかけ腎臓結核だときまると、華陽堂病院が恨めしいよりも、むしろなつかしかった。命が惜しければ入院しなさいと言われた。あわてて入院した。 附添い・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・はり捨てられたときには、そのときだけは、流石に、しんからげっそりして、間の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから頸に繃帯を巻いて、やたらに咳をしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、稀に見る頑・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・、やはり捨てられた時には、その時だけは、流石に、しんからげっそりして、間の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから頸に繃帯を巻いて、やたらに咳をしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、稀に見る頑・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院を廻り始めた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・多賀ちゃんから先程手紙で、病気は何でもなく保健所でレントゲン透視をしてもらったら、どこにも異状なしでしたそうです。柳井の組合病院でもレントゲン写真を撮ったところ、これまで病気したあともなくて大変きれいだと言われたそうで大喜びして居ります。肺・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・それはレントゲンだったのだ。ここではじめてレントゲンの科学的作用をまのあたり知った子供が観衆の幾割かを占めているのは明らかなことだ。「若い観衆の劇場」は一九二一年、レーニングラード地方ソヴェト文化部管理の下に活動をはじめた。 日本女・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・いうことを知らすと同時に科学の力、智慧というものが人間の生活を便利にして行く、そのために人間は十分その智慧を生活の便利のために獲得しなければならぬということ、そういうことを知らすために、印度人の子供がレントゲンを見たことがない、ソヴェト科学・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・十二日から二十七日まで毎日注射をうけたこと、十四日にレントゲン写真腎臓結石とわかったこと、十八日には入浴を許可されたこと、二十一日に「A1連中ヨリ夕食ニスープ及ジェリーヲ贈ラル。礼状出ス」家族にわたした金の額などまで書かれています。二十七日・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・「ええ」 重吉は椅子から立ち上った。そして、すぐその場で背広の上着をぬいでしまった。「診察はあっちなんじゃないのかしら――」「ええ。レントゲンがあっちだから……」「別の部屋へいらっしゃるのよ。――どうなさる?」 ひろ・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫