・・・この事件の成行を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。――明治四四、四、一五『東京朝日新聞』―― 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・是等は都て美術上の意匠に存することなれば、万事質素の教は教として、其質素の中にも、凡そ婦人たる者は身の装を工風するにも、貧富に拘わらず美術の心得大切なりとの一句を加えたきものなり。一 我里の親の方に私し夫の方の親類を次にすべから・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・というのは、文学に対する尊敬の念が強かったので、例えばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これを翻訳するにも同様に神聖でなければならぬ、就ては、一字一句と雖、大切にせなければならぬとように信じたのである。 ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・最後の一句は廊下に足音が聞えたから言ったのである。その足音はたしかに硝子戸に近づいて来る。オオビュルナンは覚えず居ずまいを直して、蹙めた顔を元に戻した。ちょうど世話物の三幕目でいざと云う場になる前に、色男の役をする俳優が身繕いをすると云う体・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間があったらこういうように考えて見たいと思う。〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31・11・10〕・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・その一句は、異様に彼の神経を刺戟した。まるで、その一度きりの日にさえ、妻の外出を止めるお前は良人なのかと云う詰問が含まれてでもいるようではないか。依岡の女中が一年にたった一度のクリスマスなんかと云うものか、この婆さん! 彼は、真白い、二・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・秀麿が目の前にいない時は、青山博士の言った事を、一句一句繰り返して味ってみて、「なる程そうだ、なんの秀麿に病気があるものか、大丈夫だ、今に直る」と思ってみる。そこへ秀麿が蒼い顔をして出て来て、何か上の空で言って、跡は黙り込んでしまう。こっち・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ だから母は不動明王と睨めくらで、経文が一句、妄想が一段,経文と妄想とがミドローシァンを争ッている。ところへ外からおとずれたのは居残っていた懶惰者、不忠者の下男だ。「誰やらん見知らぬ武士が、ただ一人従者をもつれず、この家に申すことあ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 梶はすぐ初めの一句を手帖に書きつけた。蝉の声はまだ降るようであった。ふと梶は、すべてを疑うなら、この栖方の学位論文通過もまた疑うべきことのように思われた。それら栖方のしていることごとが、単に栖方個人の夢遊中の幻影としてのみの事実で、真・・・ 横光利一 「微笑」
・・・それを書かせる機縁となったのは、芥川の『或阿呆の一生』のなかにある次の一句である。「彼は『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出逢ったことはなかった」。藤村はそれを取り上げて、「私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫