・・・これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年乃至十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・しかるに何ぞ図らん、今年の一月、余は漸く六つばかりになりたる己が次女を死なせて、かえって君より慰めらるる身となった。 今年の春は、十年余も足帝都を踏まなかった余が、思いがけなくも或用事のために、東京に出るようになった、着くや否や東圃君の・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・おいらあ、一月娑婆に居りあ、お前さんなんかが、十年暮してるよりか、もっと、世間に通じちまうんだからね。何てったって、化けるのは俺の方が本職だよ。尻尾なんかブラ下げて歩きゃしねえからな。駄目だよ。そんなに俺の後ろ頭ばかり見てたって。ホラ、二人・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・そこへ二、三年前、一月の寒い風に吹かれながら、ソコブク釣りに出かけた。河豚のおいしいのは十二月から一月までである。十月ごろから食べはじめ、三月のいわゆる菜種河豚でおしまいにするが、なんといっても正月前後がシュンだ。そこで、正月の松の内に、五・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ 明後日が初酉の十一月八日、今年はやや温暖かく小袖を三枚重襲るほどにもないが、夜が深けてはさすがに初冬の寒気が身に浸みる。 少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・字を知りし上にてこれを読めば、独見にて一月の間に読み終るべし。とかく読書の要は、易きを先にし難きを後にするにあり。一、漢洋兼学は難きことなれば一方にしたがうべきなど、弱き説を唱うるものなきにあらず。されども人の知識は勉むるにしたがい際限・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・その中にたのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふ時たのしみはまれに魚烹て児等皆がうましうましといひて食ふ時など貧苦の様を詠みたるもあり。 文人の貧に処るは普通のことにして、彼らがいくばくか誇張的にその貧を文字に・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・花が咲くのに支柱があっては見っともないと云うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余もある。菊池先生は春になったのでただ面白くてあれを取ったのだとおもう。その古い縄だの冬の間のごみだの運動場の隅へ集めて燃やした。そこでほかの実習の組の人・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・仙二の家の納屋をなおした小屋に沢や婆は十五年以上暮していた。一月の三分の二はよその屋根の下で眠って来た。夏が去りがけの時、沢や婆さんは腸工合を悪くして寝ついた。何年にもない事であった。一日二日放って置いた仙二夫婦も、四日目には知らない顔を仕・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ二山に積んだ。低い方の山は、其日々々に・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫