・・・実際又偉大なる厭世主義者は渋面ばかり作ってはいない。不治の病を負ったレオパルディさえ、時には蒼ざめた薔薇の花に寂しい頬笑みを浮べている。…… 追記 不道徳とは過度の異名である。 仏陀 悉達多は王城を忍び出た後六年の間・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
お手紙によりますと、あなたはK君の溺死について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであり・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・自分が不治の病を得たのもこのころの事であった。 三 栗の花 三年の間下宿していた吉住の家は黒髪山のふもともやや奥まった所である。家の後ろは狭い裏庭で、その上はもうすぐに崖になって大木の茂りがおおい重なって・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・その人は不治の病を持っているので、生涯無妻で暮した人である。その位だから舞踏なんぞをしたことはない。或る時舞踏の話が出て、傍の一人が僕に舞踏の社交上必要なわけを説明して、是非稽古をしろと云うと、今一人が舞踏を未開時代の遺俗だとしての観察から・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・これは私の手紙としては、最長い手紙で、世間で不治の病と云うものが必ず不治だと思ってはならぬ、安心を得ようと志すものは、病のために屈してはならぬと云うことを、譬喩談のように書いたものであった。私は安国寺さんが語学のために甚だしく苦しんで、その・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫