・・・「どなた?」 おふくろが、喘ぐように云ったのと、吉田が、「しっ」と押し殺すような声で云ったのと同時であった。「誰だい?」 彼は、大きな声で呶鳴った。「中村だがね、ちょっと署まで来て貰いたいんだ」――誰だい――と呼・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・〔中村楽天著『徒歩旅行』俳書堂 明治35・7・9刊〕 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・しかし、この運動は決して摩擦なしには発展せず、日本では、中村武羅夫、菊池寛その他の人々が文学の芸術性という点から、どこまでも無産派の文学運動に反対した。旧いブルジョア文学にはあき足らず、しかし、無産派文学には共感のもてない小市民的要素のきつ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・同じ十月の『文芸』に中村光夫氏が短い藤村研究「藤村氏の文学」を書いていて、中に「氏は自己の精神の最も大切な部分を他人の眼から隠すことを学んだのであろう」「おそらく氏は我国の自然主義者中最も自己の制作を一箇の技術として自覚し、この明瞭な自覚の・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・昨今婦人代議士のいうことは戦時中村岡花子や山高しげりその他の婦人達が婦人雑誌や地方講演に出歩いて、どうしてもこの戦いを勝たすために、挙国一致して「耐乏生活」をやりとげてくださいと説いてまわったと同じような「耐乏生活」の泣きおとしです。今日彼・・・ 宮本百合子 「今度の選挙と婦人」
・・・と書いた中村武羅夫や、文学の芸術性は独自のものだと社会性ときりはなして主張した菊池寛が、戦争の間は先に立って、その花園に戦車を案内し、その芸術性を、戦争宣伝性におきかえた。これらのことは、深い教訓を示している。 こういうあらましのいきさ・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・の運動は、中村武羅夫の「花園を荒す者は誰だ」という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・井とか、中村、S・Sなどと柄杓の底に墨で書いてある。 そこを過ぎると、人家のない全くの荒地であった。右にも左にも丘陵の迫った真中が一面焼石、焼砂だ。一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらし・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・竜池は劇場に往き、妓楼に往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く毎に、名題役者を茶屋に呼んで杯を取らせた。妓楼は深川、吉原を始とし、品川へも内藤新宿へも往った。深川での相手は山本の勘八と云う老妓であった。吉原では久喜万字屋の明石と云・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・あとには男子に、短い運命を持った棟蔵と謙助との二人、女子に、秋元家の用人の倅田中鉄之助に嫁して不縁になり、ついで塩谷の媒介で、肥前国島原産の志士中村貞太郎、仮名北有馬太郎に嫁した須磨子と、病身な四女歌子との二人が残った。須磨子は後の夫に獄中・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫