・・・まったが、さすがに筋目正しい血筋の昔を忘れぬためか、あるいはまた、あらゆる芸術の放胆自由の限りを欲する中にも、自然と備る貴族的なる形の端麗、古典的なる線の明晰を望む先生一流の芸術的主張が、知らず知らず些細なる常住坐臥の間に現われるためであろ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ ――俺はこの女に対して性慾的などんな些細な興奮だって惹き起されていないんだ。そんな事を考える丈けでも間違ってるんだ。それは見てる。見てるには見てるが、それが何だ。――私は自分で自分に言い訳をしていた。 彼女が女性である以上、私が衝・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ もとより下士の輩、悉皆商工に従事するには非ざれども、その一部分に行わるれば仲間中の資本は間接に働をなして、些細の余財もいたずらに嚢底に隠るることなく、金の流通忙わしくして利潤もまた少なからず。藩中に商業行わるれば上士もこれを傍観するに・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事までも見遁しにせざるは、即ち婦人の天職を奉ずる所以にして、其代理人はなき筈なり。飲食衣服は有形の物にして誰れの手を以て与うるも同様なるに似たれども、其これを与うるの間に母徳無形の感・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 州名国名など広き地名を多く用いたり。些細なることなれど蕪村以前にはこの例少かりしにや。河内路や東風吹き送る巫女が袖雉鳴くや草の武蔵の八平氏三河なる八橋も近き田植かな楊州の津も見えそめて雲の峰夏山や通ひなれたる若・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・こうした些細な慾望や、理想は兎も角として、この地上に誰れもが求め、限りもなくのぞむものは平和と愛ではないでしょうか。各々もとめるところの形は皆ちがいましょうけれど、私達の理想とするものは、愛と平和の融合を措いてこの世の楽園は考えられないと思・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・ プロレタリア革命の勝利は、ソヴェト市民、あらゆる働く男女と子供との些細な日常生活までを、どんな驚歎すべき現実的な力で、改善したか。そのことについてハッキリ理解しているだろうか? ソヴェト同盟が経つつある道は、ひとの道ではない。我等の道・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
・・・と云ったので、始てなる程と悟った事や、それからベルリンに著いた当時の印象を瑣細な事まで書いてあって、子爵夫婦を面白がらせた。子爵は奥さんに三省堂の世界地図を一枚買って渡して、電報や手紙が来る度に、鉛筆で点を打ったり線を引いたりして、秀麿はこ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ことに餓えたるものにとっては、些細な見聞も実に鋭敏な暗示として働きます。しかも恋愛や性慾が人間の性質の内で特にこのように刺激されなければならないわけはないのです。それは刺激されなくとも必要なだけには成長するのです。で、この方面にはむしろ鎮静・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫