・・・また『武道伝来記』には、ある武士が人魚を射とめたというのを意地悪の男がそれを偽りだという。それを第三者が批評して「貴殿広き世界を三百石の屋敷のうちに見らるゝ故なり。山海万里のうちに異風なる生類の有まじき事に非ず」と云ったとしてある。その他に・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、み・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 海にある通りの珊瑚が、碧い水底に立派な宮殿を作り、その真中に、真珠のようなたくさんの泡に守られた、小さな小さな人魚が、紫色の髪をさやさやと坐っています。 なんという綺麗なのでしょう。ユーラスは、すっかりびっくりしてしまいました。今・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 着たまま、人魚にでもなってしまうのではないでしょうか。着物の裾には、睡い、深い、海の底の様子が一面に浮上りました。銀の珠でも溶かしたように重く、鈍く輝く水の中では、微かに藻が揺れ、泡沫が立ちのぼります。肩にたれた髪から潮の薫りが流れ出・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
・・・ここではガラスの中で人魚が湯だりながら新鮮な裸体を板の上へ投げ出していた。その横は果物屋だ。息子はペタルを踏み馴らした逞しい片足で果物を蹴っていた。果物屋の横には外科医があった。そこの白い窓では腫れ上った首が気惰るそうに成熟しているのが常だ・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫