・・・ 他愛のないことである。眼の良い者がすべて皆頭脳優秀とは限らぬし、眼鏡を掛けぬ作家が才能に恵まれているわけでもないし、また、眼鏡を使用する必要のない者がつねに人並すぐれた読書家であるというあんばいには参らぬ。僕はたしかに眼が良い。疾走す・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・柳吉は相変らず浄瑠璃の稽古に出掛けたり、近所にある赤暖簾の五銭喫茶店で何時間も時間をつぶしたりして他愛なかった。蝶子は口が掛れば雨の日でも雪の日でも働かいでおくものかと出掛けた。もうヤトナ達の中でも古顔になった。組合でも出来るなら、さしずめ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・長兄の想像力は、このように他愛がない。やはり、蛇足の感があった。 これで物語が、すんだのであるが、すんだ、とたんに、また、かれらは、一層すごく、退屈した。ひとつの、ささやかな興奮のあとに来る、倦怠、荒涼、やりきれない思いである。兄妹五人・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・女史たち、あるいは、大学の時の何々教授の講義ノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事に隠し持って、機会在る毎にそれをひっぱり出し、ええと、美は醜ならず、醜は美ならず、などと他愛ない事を呟き、やたらに外国人の名前ばかり多く出て、はてしなく・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・舌を巻き、あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく、けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、私まで、なんだか楽しく浮き浮きして来て、ときどきは、あまりの他愛なさに、ひとりでくすくす笑ってしまっ・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・こんな他愛のないことを考えることもある。それはとにかく、亀さんが鳥人になったらおそらく人並以上の離れ業を演じ得る名操縦士になったことであろう。 亀さんの妹の丑尾さんとはあまり一緒に遊ぶことがなかったようである。その頃は男の子と女の子が遊・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・何が可笑しいと聞かれると実は返答に困るような甚だ他愛のない、しかしそれだけに純粋無垢の笑いを笑ったようである。近頃珍しい経験をしたわけである。やはり「試験」のあとの青空の影響もあったのかもしれない。それでせっかくこんなに子供のように笑ったあ・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
随筆は思ったことを書きさえすればよいのであるから、その思ったことがどれほど他愛のないことであっても、またその考えがどんなに間違った考えであっても、ただ本当にそう思ったことをその通り忠実に書いてありさえすればその随筆の随筆と・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・ こんな他愛もない事を考えてみたりした。 三 眼を煩らって入院している人に何か適当な見舞の品はないかと考えてみた。両眼に繃帯をしているのだから、視覚に訴えるものは慰みにはならない。 しかし例えば香の好・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 某百貨店の入口の噴水の傍の椰子の葉蔭のベンチに腰かけてうっとりしているうちに、私はこんな他愛もない夢を見ていたのである。 二 地図をたどる 暑い汽車に乗って遠方へ出かけ、わざわざ不便で窮屈な間に合せの生活を求・・・ 寺田寅彦 「夏」
出典:青空文庫