・・・現に商業会議所会頭某男爵のごときは大体上のような意見と共に、蟹の猿を殺したのも多少は流行の危険思想にかぶれたのであろうと論断した。そのせいか蟹の仇打ち以来、某男爵は壮士のほかにも、ブルドッグを十頭飼ったそうである。 かつまた蟹の仇打ちは・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・……御威勢のほどは、後年地方長官会議の節に上京なされると、電話第何番と言うのが見得の旅館へ宿って、葱のおくびで、東京の町へ出らるる御身分とは夢にも思われない。 また夢のようだけれども、今見れば麺麭屋になった、丁どその硝子窓のあるあたりへ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何に盛んであったか。 宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃うた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・しかし、若し、世界が現状のまゝの行程を辿るかぎり、いかに巧言令辞の軍縮会議が幾たび催されたればとて、急転直下の運命から免れべくもない。こう思って、何も知らずに、無心に遊びつゝある子供等の顔を見る時、覚えず慄然たらざるを得ないのであります。・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
平和を目的にして、武器が製造せられ、軍備がなされるならば、其の事が既に、目的に対する矛盾であることは、華府会議の第一日にヒューズが言った通りであります。 私達は、黒人に対する米人の態度を見、また印度の殖民地に於ける英人の政策を熟視・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・七 北京大学の季大釧、季石曾などの運動が、上海に於ける陳独秀等の参加によって更に四方に及んだというのも、必ずしも或る人の云うが如くワシントン会議に於て米国が支那を助けなかった反動であるとばかりに考えるのは間違っている。この運動に・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・ 三七日の夜、親族会議が開かれた席上、四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方につき、お君の籍は金助のところへ戻し、豹一も金助の養子にしてもろたらどんなもんじゃけんと、渋い顔して意見を述べ、お君の意嚮を訊くと、「私でっか。私は・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ころにあらず、軍夫となりてかの地に渡り一かせぎ大きくもうけて帰り、同じ油を売るならば資本をおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相談相手とするほどの友だちもなく、打ちまけて置座会議に上して見るほどの気軽の天稟にもあら・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・県会議員が、当選したあかつきには、百姓の利益を計ってやる、というような口上には、彼等はさんざんだまされて来た。うまい口上を並べて自分に投票させ、その揚句、議員である地位を利用して、自分が無茶な儲けをするばかりであることを、百姓達は、何十日と・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・――そのハリコフ会議の日本プロレタリア文学運動についての決議は、農民文学に関して「国内に大きな農民層を持つ日本にあっては、農民文学に対するプロレタリアートの影響を深化する運動が一層注意される必要がある。日本プロレタリア作家同盟の内部に農民文・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
出典:青空文庫