・・・今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族にユダヤ人種の血が流れているという事は注目すべき事である。後年・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・めしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪、水瓶、竈、その傍の煤けた柱に貼った荒神様のお札なぞ、一体に汚らしく乱雑に見える周囲の道具立と相俟って、草双紙に見るような何という果敢い佗住居の情調、また哥沢の節廻しに唄い古され・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・鼠のためには屈竟な住居である。それでも春から秋の間は蛇が梁木を渡るので鼠が比較的少ない。蛇は時とすると煤けた屋根裏に白い体を現わして鼠を狙って居ることがある。そうした後には鼠は四五日ひっそりする。収穫季の終が来て蛇が閉塞して畢うと鼠は蕎麦や・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く人にもっとも遠ざかれる住居をこの四階の天井裏に求めしめたのである。 彼のエイトキン夫人に与えたる書・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・一体に、それは住居だか倉庫だか分らないような建て方であった。二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から一軒置いて――この一軒も人が住んでるんだか住んでいないんだか分らない家――の隣へ入った。方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀のような恰・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時に・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出でしよりここに十年、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろい・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・一坪でも、そこから米を産出する稲田の真中に、大きい面積をつぶして住居を立てるほど地主たちは愚かでないという証拠である。彼等は多く都会に家をもっているのだろう。小作としてどうしてもそこで働かせておかなければこまる農民の住居は最小限において。家・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・永正十一年駿河国興津に生れ、今川治部大輔殿に仕え、同国清見が関に住居いたし候。永禄三年五月二十日今川殿陣亡遊ばされ候時、景通も御供いたし候。年齢四十一歳に候。法名は千山宗及居士と申候。 父才八は永禄元年出生候て、三歳にして怙を失い、母の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 住居についてもそうであった。新片町や飯倉片町の家は、借家であって、藤村の好みによった建築ではないが、しかしああいう場所の借家を選ぶということのなかに、十分に藤村の好みが現われているのである。随筆集の一つを『市井にありて』と名づけている・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫