・・・それでも結局「修善寺野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの学校の受験者だって落第するにきまっている。 通信部は、日暮れ近くなって閉じた。あのいつもの銀行員が来て月謝を取扱う小さな窓のほうでも、上原君や・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・――いつかも修善寺の温泉宿で、あすこに廊下の橋がかりに川水を引入れた流の瀬があるでしょう。巌組にこしらえた、小さな滝が落ちるのを、池の鯉が揃って、競って昇るんですわね。水をすらすらと上るのは割合やさしいようですけれど、流れが煽って、こう、颯・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
「やあ、しばらく。」 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗して席を並べた、修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。「いや、構わず……どうぞ。」・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
序山吹の花の、わけて白く咲きたる、小雨の葉の色も、ゆあみしたる美しき女の、眉あおき風情に似ずやとて、――時 現代。所 修善寺温泉の裏路。同、下田街道へ捷径の山中。人 島津正洋画家。・・・ 泉鏡花 「山吹」
春の山――と、優に大きく、申出でるほどの事ではない。われら式のぶらぶらあるき、彼岸もはやくすぎた、四月上旬の田畝路は、些とのぼせるほど暖い。 修善寺の温泉宿、新井から、――着て出た羽織は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方などは目茶だった。尤も晩年のことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・清水で降りて、三保へ行き、それから修善寺へまわり、そこで一泊して、それから帰りみち、とうとう三島に降りてしまいました。いい所なんだ、とてもいい所だよ。そう言って皆を三島に下車させて、私は無理にはしゃいで三島の町をあちこち案内して歩き、昔の三・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ たしか三年の冬休みに修善寺へ行ってレーリーの『音響』を読んだ。湯に入り過ぎたためにからだが変になって、湯から出ると寒気がするので、湯に入っては蒲団に潜ってレーリーを読み、また湯に入っては蒲団を冠ってレーリーを読んだ。風邪を引いた代りに・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・例えば修善寺における大患以前の句と以後の句との間に存する大きな距離が特別に目立つ、それだけでも覗ってみる事は先生の読者にとってかなり重要な事であろうかと思われる。 色々の理由から私は先生の愛読者が必ず少なくもこの俳句集を十分に味わってみ・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・ 自分の洋行の留守中に先生は修善寺であの大患にかかられ、死生の間を彷徨されたのであったが、そのときに小宮君からよこしてくれた先生の宿の絵はがきをゲッチンゲンの下宿で受け取ったのであった。帰朝して後に久々で会った先生はなんだか昔の先生とは・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
出典:青空文庫