・・・良人五年の中風症、死に至るまで看護怠らずといい、内君七年のレウマチスに、主人は家業の傍らに自ら薬餌を進め、これがために遂に資産をも傾けたるの例なきにあらず。 これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・というのは、当時の語学校はロシアの中学校同様の課目で、物理、化学、数学などの普通学を露語で教える傍ら、修辞学や露文学史などもやる。所が、この文学史の教授が露国の代表的作家の代表的作物を読まねばならぬような組織であったからである。 する中・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・この身の根差はあのお母様であるのを、あのお母様のお側にいるのは、神の傍にいるのと同じわけであるのを、己は一度も知らなんだ。もうこうなっては取返しがつかぬわい。(死は主人の煩悶を省みず、古民謡の旋律を弾じ出す。娘一人、徐に歩み入る、派・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・それがためにこの二、三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁訪い来るなどで、病室には一種不穏の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居った友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節は帰ってしもうて余らの眠りに就たのは一時頃であったが、今朝起きて見る・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・あんまりみんな甲板のこっち側へばかり来たものだから少し船が傾いた。風が出てきた。何だか波が高くなってきた。東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合がわるくなってきた。 *いま汽車は函館を発って・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・わたしの方法は、愛という観念を、あっち側から扱う方法です。人間らしくないすべての事情、人間らしくないすべての理窟とすべての欺瞞を憎みます。愛という感情が真実わたしたちの心に働いているとき、どうして漫画のように肥った両手をあわせて膝をつき、存・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・ 器械的に手が枕の側を探る。それは時計を捜すのである。逓信省で車掌に買って渡す時計だとかで、頗る大きいニッケル時計なのである。針はいつもの通り、きちんと六時を指している。「おい。戸を開けんか。」 女中が手を拭き拭き出て来て、雨戸・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・その時あなたはその奥さんの側に立っていらっしゃって、わたくしの顔をじっと見ていらっしゃいましたの。男。その時の事ですか。もう分かりました。貴夫人。まあ、聞いていらっしゃいまし。その席であなたは最初からわたくしをひどい目に逢わせていら・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・ このごろのならいとてこの二人が歩行く内にもあたりへ心を配る様子はなかなか泰平の世に生まれた人に想像されないほどであッて、茅萱の音や狐の声に耳を側たてるのは愚かなこと,すこしでも人が踏んだような痕の見える草の間などをば軽々しく歩行かない・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・低い戸の側に、沢の好い、黒い大きい、猫が蹲って、日向を見詰めていて、己が側へ寄っても知らぬ顔をしている。 そこへ弦のある籐の籠にあかすぐりの実を入れて手に持った女中が通り掛かったので、それにこの家は誰が住まっているのだと問うた。「エ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫