・・・天下の先覚、憂世の士君子と称し、しかもその身に抜群の芸能を得たる男子が、その生活はいかんと問われて、孤児・寡婦のはかりごとを学ぶとは、驚き入ったる次第にして、文明活溌の眼をもって評すれば、ただ憐むべきのみ。 試みに西洋諸国の工商社会を見・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・という本は、簡単ではあるが、近代科学に向って動いた日本の先覚者たちの苦難な足跡を伝えている一つの貴重な本である。 それにしても、「科学の学校」を折角訳された神近さんが、原本の後半をすこしのこして「物理の発達」という章を割愛されたというの・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・日本の所謂先覚婦人は、兎角、青年自らの発言に耳を傾けるより先ず先に、此等の種類の言葉に賛意を表します。彼女等の権威と他人の権威とは奇妙な価値判断の錯誤に陥ります。過去は尊ばるべきものでございます。その価値は、嘗て刹那の「今」であったと申す点・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 福済寺から受ける全印象は、この寺が、嘗て僧院として存在したというより、明人及長崎先覚者等の間に倶楽部のような役目をつとめていたらしいことだ。広大な方丈に坐って点滴の音を聴いていたら、今日は沈君の絵を一つ見ようと思って、などと談笑しなが・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・その頃は、職業をもつこと自身が婦人の社会的なめざめの第一過程であるという一つのモラルで見られていたし、その意味では職業婦人は先覚的な若い人たちとしての自信も矜恃もあった。働く娘さんの数は少くて、そんなことを思ってもみないひとの方が多かったの・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・今日、明治の先覚的な婦人として我々に伝えられているキリスト教関係の多くの活動的な婦人は、殆ど皆この前後、いわゆる明治の開化期に、進歩的な教育を受けた人々なのであった。若し日本が、そのようにして歩み出した男女平等の道を、正直に今日まで歩み続け・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫