・・・同じ汽車にて本庄まで行き、それより児玉町を経て秩父に入る一路は児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだしく迂なるが如くなれども、馬車の接続など便よければこの路を取る人も少からず。上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石にかかり、渡良・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・に苦しむよりも、穢辱に苦しむ人間性のゆえに苦しんでいるのである。そこに人間がある。苦しむ人間性をまっとうに評価するひとと自分への責任がある。「風にそよぐ葦」に児玉榕子という女性が登場して来る。小説の中の人物は小説中の人物だという考えは、日本・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ おととしの十二月二十日すぎに、巣鴨から釈放されて、社会生活にまぎれこんで来た児玉誉士夫、安倍源基らの人々の氏名経歴を思い出して見れば、それにつづく一九四九年の権力が、そのかげにどんな要素をよりつよく含むようになったかということはおのず・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・○一昨年十二月二十五日 新日本文学主催の文学者のファシズム反対講演会東條 処刑A級戦犯 釈放「安部源基」 1931年 満州侵略がはじまったころ、大泉、小畑をつかっていた男。児玉よしを 台湾への□(二、その・・・ 宮本百合子 「東大での話の原稿」
・・・そのファシスト団体の首領である児玉誉士夫、葛生能久たちが自由市民の生活にまぎれこんできました。 こういうふうに、国際的に侵略戦争の煽動者であり、ファシズム思想の組織者であったと認められた人びとが、わたしたちの生活にたちまじってきたことに・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・ 一九四八年十二月に東條をはじめとする戦争首謀者たちの処刑が行われ、その犠牲において児玉誉士夫のようなファシズム文化の運動に関係ある日本のファシスト戦犯が大量に無罪釈放されて民間にまぎれこんだ。このことは、日本民主化のために重大な害悪と・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・ 同じ一つの新聞が、三田土ゴムの女工さんであった児玉しづ子をはじめ多くの婦人党員が、男の党員とともにめざましい働きをしたと書きながら、裏をかえすとまるで婦人党員は、家政婦の役だの色仕掛で金をまき上げるようなことだのばかりしていたように書・・・ 宮本百合子 「婦人党員の目ざましい活動」
・・・同じグループの児玉誉士夫というのは児玉機関といわれた特務機関のような一種のファシズムのボスですが、彼は或る種の右翼的な作家、名前をいうことを止めますが、そういう作家達と近い関係にあったという話があります。 すべてのこういう事情はこんにち・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・そこから武蔵国の境を越して、児玉村に三日いた。三峯山に登っては、三峯権現に祈願を籠めた。八王子を経て、甲斐国に入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山へ参詣した。信濃国では、上諏訪から和田峠を越えて、上田の善光寺に参った。越後国では、高田を・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫