・・・や「銀座八丁」の逞しい描写を喜ぶ読者は、「弥生さん」には失望したであろう。私もそのような意味では失望した。しかし、読者の度胆を抜くような、そして抜く手も見せぬような巧みに凝られた書出しよりも、何の変哲もない、一見スラスラと書かれたような「弥・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・その時、武田さんの「銀座八丁」の話が出た。宇野さんは武田さんのものでは「銀座八丁」よりも「日本三文オペラ」や「市井事」などがいいと言っておられたように記憶している。これらの作品は武田さんの二十代か三十二三の頃のものであった。近頃の三十歳前後・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・寄席を出るともう大ぶ更かったから、家まで送ってもらったが、駅から家まで八丁の、暗いさびしい道を肩を並べて歩きながら、私は強情にひとことも口を利かなかった。じつは恥かしいことだが、おなかが空いて、ペコペコだったのだ。あの人は私に夕飯をご馳走す・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ それまで三十石船といえば一艘二十八人の乗合で船頭は六人、半日半夜で大阪の八丁堀へ着いていたのだが、登勢が帰ってからの寺田屋の船は八丁堀の堺屋と組合うて船頭八人の八挺艪で、どこの船よりも半刻速かった。自然寺田屋は繁昌したが、それだけに登・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 私は此の馬車に乗って銀座八丁を練りあるいてみたかったのだ。鶴の丸の紋服を着て、仙台平の袴をはいて、白足袋、そんな姿でこの馬車にゆったり乗って銀座八丁を練りあるきたい。ああ、このごろ私は毎日、新郎の心で生きている。┌昭和十六年十・・・ 太宰治 「新郎」
出典:青空文庫