詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は、自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに気付かない人達です。人間は、一度は光輝な世界を有していたことがあったのを憫れむべくも自ら知らない不明な輩です。 芸術は、ほんとうに現実に立脚するもので・・・ 小川未明 「『小さな草と太陽』序」
・・・と弟は非難と冷笑の色を見せたが、言葉は続けなかった。「それでは大急ぎで仕事を片づけて三日中に出て行くからね。……おやじには出てきてくれたんでたいへん安心して悦んでいると言ってくれ」私はこう言って弟だけ帰したが、それでは一昨晩の騒ぎの場合・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ こうも言って、彼が他人の感情に鈍感で、他人の恩恵を一図に善意にのみ受取っている迂遠さを冷笑した。「ばか正直でずうずうしくなくてはできないことだ」細君は良人の性質をこうも判断した。「ばか言え、お前なぞに何が解る……」彼は平気を装って・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・書記官と聞きたる綱雄は、浮世の波に漂わさるるこのあわれなる奴と見下し、去年哲学の業を卒えたる学士と聞きたる辰弥は、迂遠極まる空理の中に一生を葬る馬鹿者かとひそかに冷笑う。善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・少女が僕の面前で赤い舌を出して冷笑しても宜しい。「朝に道を聞かば夕に死すとも可なりというのと僕の願とは大に意義を異にしているけれど、その心持は同じです。僕はこの願が叶わん位なら今から百年生きていても何の益にも立ない、一向うれしくない、寧・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 不平と猜忌と高慢とがその眼に怪しい光を与えて、我慢と失意とが、その口辺に漂う冷笑の底に戦っていた。自分はかれが投げだしたように笑うのを見るたびに泣きたく思った。『国会がどうした? ばかをいえ。百姓どもが集まって来たって何事をしでか・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・女郎の写真を彼が大事がっているのを冷笑しているのだが、上等兵も街へ遊びに出て、実物の女の顔を知っていることを思うと、彼はいゝ気がしなかった。女を好きになるということは、悪いことでも、恥ずべきことでもない。兵卒で、取調べを受ける場合に立つと、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・と云って冷笑すると、女は激して、「イエ、ほんとに身を捨てましても」とムキになって云ったが、主人は「いや、それよりも」と、女を手招きして耳に口を寄せて、何かささやいた。女は其意を得て屏風を遶り、奥の方へ去り、主人は立っても・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・不平もある、反抗もある、冷笑もある、疑惑もある、絶望もある。それでなお思いきってこれを蹂躙する勇気はない。つまりぐずぐずとして一種の因襲力に引きずられて行く。これを考えると、自分らの実行生活が有している最後の筌蹄は、ただ一語、「諦め」という・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・これは、なんとしても黄村先生に教えてあげなければならぬ、とあの談話筆記をしている時には、あんなに先生のお話の内容を冷笑し、主題の山椒魚なる動物にもてんで無関心、声をふるわせて語る先生のお顔を薄気味わるがったりなど失礼な感情をさえ抱いていた癖・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫