・・・が、冷澄な空気の底に冴え冴えとした一塊の彩りは、何故かいつもじっと凝視めずにはいられなかった。 堯はこの頃生きる熱意をまるで感じなくなっていた。一日一日が彼を引き摺っていた。そして裡に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れよう逃れ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・そして其所らを夢中で往きつ返りつ地を見つめたまま歩るいて『決してそんなことはない』『断じてない』と、魔を叱するかのように言ってみたが、魔は決して去らない、僕はおりおり足を止めて地を凝視ていると、蒼白い少女の顔がありありと眼先に現われて来る、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 細川繁は黙って何にも言わなかった、ただ水面を凝視めている。富岡老人も黙って了った。 暫くすると川向の堤の上を二三人話しながら通るものがある、川柳の蔭で姿は能く見えぬが、帽子と洋傘とが折り折り木間から隠見する。そして声音で明らかに一・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・床にありていずこともなく凝視めし眼よりは冷ややかなる涙、両の頬をつたいて落ちぬ。『ああ恋しき治子よ』と叫びて跳ね起きたり。水車場の翁はほぼかれが上を知れるなり。 この時またもや時雨疎らに降り来たりぬ。その軽き一滴二滴に打たれて梢より落つ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ あらためて娘の瞳を凝視した。「だって」娘は、濁りなき笑顔で応じた。「誓ったのだもの。飲むわけないわ。ここではお芝居およしなさいね」 てんから疑って呉れなかった。 男は、キネマ俳優であった。岡田時彦さんである。先年なくなった・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・ 事実、作品に依れば、その描写の的確、心理の微妙、神への強烈な凝視、すべて、まさしく一流中の一流である。ただ少し、構成の投げやりな点が、かれを第二のシェクスピアにさせなかった。とにかく、これから、諸君と一緒に読んでみましょう。 ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・に於ける強烈な自己凝視など、外国十九世紀の一流品にも比肩出来る逸品と信じます。お手紙に依れば、君は無学で、そうして大変つまらない作家だそうですが、そんな、見え透いた虚飾の言は、やめていただく。君が無学で、下手な作家なら、井原は学者で、上手な・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・を夢みる乙女の凝視が現われる。これらは立派な連句であり俳諧である。 しかしこれらの一つ一つのシーンは多くの場合に静的であり活人画でありポーズである。そうして、これらの静的なものから静的なものへの推移の過程の中に動的なるものを求め、そうし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせて空中に泛んでいるような気がしてくる。日射病の兆候でもないらしい。全く何も比較の尺度のない一様な緑の視界はわれわれの空間に対する感官を無能にす・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・なるほど要太郎は一心に田の中の一点を凝視めてその点のまわりを小股に走りながらまわっている。網の竿をのばしたと思うと急に足を早めて網を投げた。黒いものが立つと思うと網にかかった。バタ/\している。要太郎も走る。精も走る。綺麗な鴫だ。ドレドレと・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
出典:青空文庫