・・・ けれども、私がまだ三田君のその新しい作品に接しないうちに、三田君は大学を卒業してすぐに出征してしまったのである。 いま私の手許に、出征後の三田君からのお便りが四通ある。もう二、三通もらったような気がするのだけれども、私は、ひとから・・・ 太宰治 「散華」
・・・これで私が出征でもしたら、家族はひどい事になるだろうと思ったが、どういうわけか、とうとう私には召集令状が来なかった。安易にこんな事は口にしたくないが、神の配慮、という事を思わずにはいられない。私はねばって、とにかく小説を書きとおした。 ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。 きょうは、空襲が無いようです。 出征する年少の友人の旗に、男児畢生危機一髪、と書いてやりました。 忙、閑、ともに間一髪。・・・ 太宰治 「春」
・・・睦子が生れてそれから間もなく、島田が出征して、それでもお前は、洋裁だか何だかやってひとりで暮せると言って、島田の親元のほうへも行かず、いや、行こうと思っても、島田もなかなかの親不孝者らしいから親元とうまく折合いがつかなくて、いまさら女房子供・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ 日本軍がシベリアへ出征するという場合でも、気象学上の知識は非常に必要である。彼の地における各時季の気温や、風向、晴雨日の割合などは勿論、些細な点についても知識の有無に従ってその方面の準備の有無は意外の結果を来たすであろうと考えられる。・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
去年の暮から春へかけて、欠食児童のための女学生募金や、メガフォン入りの男学生の出征兵士や軍馬のための募金が流行したが、これらはいつの間にか下火になった。そうしてこの頃では到る処の街頭で千人針の寄進が行われている。これは男子・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・ 西南戦争に出征していた父が戦乱平定ののち家に帰ったその年の暮れに私が生まれた。その私が中学校の三年生か四年生の時であったからともかくも蓄音機が発明されてから十六七年後の話である。ある日の朝K市の中学校の掲示場の前におおぜいの生徒が集ま・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・同じ注に、欧州大戦のときフランスに出征中のアメリカ軍では驢馬のいななくのを防ぐために「ある簡単なる外科手術を施行した」とある。やはり西洋人は残酷である。 昨夜これを読んだけさ「南北新話」をあけて見ると夜の明けやすい白無垢は損・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・この苗木のもとに立って、断髪洋装の女子と共に蓄音機の奏する出征の曲を聴いて感激を催す事は、鬢糸禅榻の歎をなすものの能くすべき所ではない。巴里には生きながら老作家をまつり込むアカデミイがある。江戸時代には死したる学者を葬る儒者捨場があった。大・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・「だんだん聞き糺して見ると、その妻と云うのが夫の出征前に誓ったのだそうだ」「何を?」「もし万一御留守中に病気で死ぬような事がありましてもただは死にませんて」「へえ」「必ず魂魄だけは御傍へ行って、もう一遍御目に懸りますと云・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫