・・・ 伝右衛門は、こう云う前置きをして、それから、内蔵助が濫行を尽した一年前の逸聞を、長々としゃべり出した。高尾や愛宕の紅葉狩も、佯狂の彼には、どのくらいつらかった事であろう。島原や祇園の花見の宴も、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったの・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても、返事らしい返事は・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ こう前置きをして、陶器師の翁は、徐に話し出した。日の長い短いも知らない人でなくては、話せないような、悠長な口ぶりで話し出したのである。「もうかれこれ三四十年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分に、この清水の観音様へ、願をかけた事・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ 本間さんは先方の悪く落着いた態度が忌々しくなったのと、それから一刀両断に早くこの喜劇の結末をつけたいのとで、大人気ないと思いながら、こう云う前置きをして置いて、口早やに城山戦死説を弁じ出した。僕はそれを今、詳しくここへ書く必要はない。・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・とゆっくり前置きをして、「何しろあんな内気な女が、二三度会ったばかりの僕の所へ、尋ねて来ようと云うんだから、よくよく思い余っての上なんだろう。そう思うと、僕もすっかりつまされてしまってね、すぐに待合をとも考えたんだが、婆の手前は御湯へ行くと・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・と、お母アは鼻をぴく/\さした。骨組の太い上田が立ち上がると、いきなり、「われ/\の同志であり、先輩である山崎君の*****に私は**を***ものである。もはや山崎は同志でもなく、先輩でもない!」と前置きをして、自分は山崎のように学問もない・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・それから、先生より、かくべつのお便りもなく、万事、自然に話すすんで居ることとのみ考え、ちかき人々にも、ここだけの話と前置きして、よろこびわかち、家郷の長兄には、こんどこそ、お信じ下さい、と信じて下さるまい長兄のきびしさもどかしく思い、七日、・・・ 太宰治 「創生記」
・・・とも空いていない。「すみませんでした。」とれいのあやまり癖が出て、坐り直して農夫に叮嚀にお辞儀をして、「お恥かしい話ですが、」と前置きをしてこの廟の廊下に行倒れるにいたった事情を正直に打明け、重ねて、「すみませんでした。」とお詫びを言った。・・・ 太宰治 「竹青」
・・・三郎はそれを聞いてしばらく考えごとをしてから、なんだか兄者人のような気がすると前置きをして、それから自身の半生を嘘にならないように嘘にならないように気にしいしい一節ずつ口切って語りだしたのである。それをしばらく聞いているうちに次郎兵衛は、お・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 何ゆえに自分がここでこのような、読者にとってはなんの興味もない一私人の経験を長たらしく書き並べたかというと、これだけの前置きが、これから書こうとするきわめて特殊な、そうして狭隘で一面的な文学観を読者の審判の庭に供述する以前にあらかじめ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫