・・・ 梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁をさびさせない腕を研いて、吸ものの運びにも女中の裙さばきを睨んだ割烹。震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船の白魚より、舶来の塩鰯が・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ ――今年余寒の頃、雪の中を、里見、志賀の両氏が旅して、新潟の鍋茶屋などと併び称せらるる、この土地、第一流の割烹で一酌し、場所をかえて、美人に接した。その美人たちが、河上の、うぐい亭へお立寄り遊ばしたか、と聞いて、その方が、なお、お・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・お徳の白い割烹着も、見慣れるうちにそうおかしくなくなった。「次郎ちゃんは?」「お二階で御勉強でしょう。」 それを聞いてから、私は両手に持てるだけ持っていた袋包みをどっかとお徳の前に置いた。「きょうはみんなの三時にと思って、林・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・こんな非常時の縁が、新七とお力夫妻とを結びつけ、震災後はその休茶屋に新しい食堂を設け、所謂割烹店でなしに好い料理を食わせるところを造り、協力でそれを経営するようになって行こうとは、お三輪としても全く思い設けない激しい生涯の変化であった。・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 喫茶店で、葡萄酒飲んでいるうちは、よかったのですが、そのうちに割烹店へ、のこのこはいっていって芸者と一緒に、ごはんを食べることなど覚えたのです。少年は、それを別段、わるいこととも思いませんでした。粋な、やくざなふるまいは、つねに最も高・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・前橋でも一流中の一流の割烹店でございました。大臣でも、師団長でも、知事でも、前橋でお遊びのときには、必ず、わたくしの家に、きまっていました。あのころは、よかった。わたくしも、毎日々々、張り合いあって、身を粉にして働きました。ところが、あれの・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ Aという、その海のある小都会に到着したのは、ひるすこしまえで、私はそのまま行き当りばったり、駅の近くの大きい割烹店へ、どんどんはいってしまった。私にも、その頃はまだ、自意識だのなんだの、そんなけがらわしいものは持ち合せ無く、思うことそ・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・まあ、昔自慢してあわれなことでございますが、父の達者な頃は、前橋で、ええ、国は上州でございます、前橋でも一流中の一流の割烹店でございました。大臣でも、師団長でも、知事でも、前橋でお遊びのときには、必ず、わたくしの家に、きまっていました。あの・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・病室では炊事割烹は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分何しに大根おろしを拵えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡で覚ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだ・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点燈の細事にいたるまでも、悉・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
出典:青空文庫