・・・やっと彼の椅子が出来ると間もなく、チューリヒの大学の方で理論物理学の助教授として招聘した。これが一九〇九年、彼が三十一歳の時である。特許局に隠れていた足掛け八年の地味な平和の生活は、おそらく彼のとっては意義の深いものであったに相違ないが、と・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・例えば若い教授または助教授が研究している研究題目あるいは研究の仕振りが先輩教授から見て甚だ凡庸あるいは拙劣あるいは不都合に「見える」場合には、自然に且つ多くの場合に当事者の無意識の間に、色々の拘束障害が発生して来て、その研究は結局中止するか・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のため満二年間独国及び英国へ留学を命ぜられ、これと同時に工学博士の学位を授けられた。四十四年帰朝後工科大学教授に任ぜられ、爾来最後の日まで力学、応用力学、船舶工学等の講座を受持っていた。大正七年三・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 中年学校、老年学校を設置して中年、老年の生徒を収容し、その教授、助教授には最も現代的な模範的ボーイやガールを任命するのも一案である。 子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・ こういう芸術品ほか持得ない感銘の活々とした歓喜を以て、「助教授Bの幸福」「盧生の夢」等の御作を拝読しますと、私は種々の考えに打たれずにはいられなく成りました。 忌憚なく申せば、芸術品として「霊魂の赤ん坊」に及ぶものではございますま・・・ 宮本百合子 「野上彌生子様へ」
・・・その当時、帝大の教育学の助教授が批評をして、母親だけで育つ子供のこうむる特別な精神上の傾向をその子も持っているために、そういう事件もおこったと世人の注意を喚起していた。 その談話は、その面で正当なことが語られているのではあるが、女として・・・ 宮本百合子 「若い母親」
・・・ きのうの新聞に、二十五歳で大学の助教授となった青年の記事が出ていた。私はその写真を眺めながら、このひとは今日の人生の何処を通っているんだろうか、と思った。現代に、好学心と社会生活の安定とがこの位好都合に統一されることの出来た青年という・・・ 宮本百合子 「若き時代の道」
・・・或る助教授の受け持っているフリイドリヒ・ヘッベルと云う文芸史方面のものがある。ずっと飛び離れて、神学科の寺院史や教義史がある。学期ごとにこんな風で、専門の学問に手を出した事のない子爵には、どんな物だか見当の附かぬ学科さえあるが、とにかく随分・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫