・・・例えば労働者の集団に対しても、分りやすい講演をやって聞かせるとある。そんな風であるから、ともかくも彼が教育という事に無関心な仙人肌でない事は想像される。 アインシュタインの考えでは、若い人の自然現象に関する洞察の眼を開けるという事が最も・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・長いあいだ色々の労働で鍛えて来たその躯は、小いなりに精悍らしく見えた。 上さんが気を利かして、金を少し許り紙に包んで、「お爺さん少しだけれど、一杯飲んで下さいよ」と、そこへ差出すと、爺さんは一度辞退してから、戴いて腹掛へ仕舞いこんだ。・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「ぼくが生れないずッとまえ、お父さんもお母さんも、労働者だったんだよ」 林はそう言って、また写真帳の他のところをめくってみせた。そこには、洋服は洋服だが、椰子の木の生えたひろい畑の隅に、跣足で柄の長い鍬をもった林のお父さんと、傍に籠・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・普通選挙だの労働問題だの、いわゆる時事に関する論議は、田舎訛がないとどうも釣合がわるい。垢抜けのした東京の言葉じゃ内閣弾劾の演説も出来まいじゃないか。」「そうとも。演説ばかりじゃない。文学も同じことだな。気分だの気持だのと何処の国の託だ・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでし・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人の女性が、労働力の最後の残渣まで売り尽して、愈々最後に売るべからざる貞操まで売って食いつないで来たのだろう。 彼女は、人を生かすために、人を殺さねば出来ない六神丸のように、又一人も残ら・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・かつ今日は、世禄の家なくして労働の身あるのみ。労すればもって食うべし、逸すればもって飢ゆべし。いわんや金力独尊の時勢に推し移るの時にあたり、貧は士の常などいう陳腐至極の考をかかえて、ひとり自から得意ならんとするも、誰かこれを許す者あらんや。・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・享楽と云うよりは欠くべからざる精神爽快剤である。労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるように食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 社会の内部の複雑な機構に織り込まれて、労働においても、家庭生活においても、その最も複雑な部面におかれている婦人の諸問題を、それだけきりはなして解決しようとしても、それは絶対に不可能であった。世界を見わたせば、一つの国が、封建的な性質か・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・無辜の犠牲とはなんだ、社会に生きているものに、誰一人労働者の膏血を絞って、旨い物を食ったり、温い布団の上に寝たりしていないものはない。どこへ投げたって好いと云うのだ。それが君主を目差すとか、大統領を目差すとかいうことになるのは、主義を広告す・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫