・・・彩色と云っても絵具は雌黄に藍墨に代赭くらいよりしかなかったが、いつか伯父が東京博覧会の土産に水彩絵具を買って来てくれた時は、嬉しくて幾晩も枕元へ置いて寝て、目が覚めるや否や大急ぎで蓋をあけて、しばしば絵具を検査した。夕焼けの雲の色、霜枯れの・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ ある日家族の大部分は博覧会見物に出かけた。私は留守番をして珍しく静かな階下の居室で仕事をしていたが、いつもとはちがって鳴き立てる三毛の声が耳についた。食物をねだる時や、外から帰って来る主人を見かけてなくのとは少し様子がちがっていた。そ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・手に手に紅葉の枝をさげた女学生の一群が目につく。博覧会の跡は大半取り崩されているが、もとの一号館から四号館の辺は、閉鎖したままで残っている。壁はしみに汚れ、明り取りの窓硝子はところどころ破れ落ちかかって煤けている。おおかた葉をふるうた桜の根・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・ 中学時代に、京都に博覧会が開かれ、学校から夏休みの見学旅行をした。高知から三、四百トンくらいの汽船に寿司詰になっての神戸までの航海も暑い旅であった。荷物用の船倉に蓆を敷いた上に寿司を並べたように寝かされたのである。英語の先生のHという・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・不折の如きも近来評判がよいので彼等の妬みを買い既に今度仏国博覧会へ出品する積りの作も審査官の黒田等が仕様もあろうに零点をつけて不合格にしてしまったそうだ。こう云う風であるから真面目に熱心に斯道の研究をしようと云う考えはなく少しく名が出れば肖・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・横浜で下りた子供連れの客はたいてい博覧会行きらしかった。大船近くの土堤の桜はもうすっかり青葉になっており、将来の日本ハリウード映画都市も今ではまだ野良犬の遊び場所のように見受けられた。茅ヶ崎駅の西の線路脇にチューリップばかり咲揃った畑が見え・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・明治十年に至って始て内国勧業博覧会がこの公園に開催せられた。当時上野なる新公園の状況を記述するもの箕作秋坪の戯著小西湖佳話にまさるものはあるまい。 箕作秋坪は蘭学の大家である。旧幕府の時開成所の教官となり、又外国奉行の通訳官となり、両度・・・ 永井荷風 「上野」
・・・日光の廟門を模擬した博覧会場の建築物にも均しい。菊人形の趣味に一層の俗悪を加えたものである。斯くの如き傾向はいつの時に其の源を発したか。混沌たる明治文明の赴くところは大正年間十五年の星霜を経由して遂にこの風俗を現出するに至ったものと看るより・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。 また、外国の交際においても、字義を広くしてこれを論ずれば、霞が関の外務省のみをもって交際の場所と思うべからず。ひとたび国を開きてより・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
出典:青空文庫