・・・然れども君の小説戯曲に敬意と愛とを有することは必しも人後に落ちざるべし。即ち原稿用紙三枚の久保田万太郎論を草する所以なり。久保田君、幸いに首肯するや否や? もし又首肯せざらん乎、――君の一たび抛下すれば、槓でも棒でも動かざるは既に僕の知る所・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・ クララが知らない中に祭事は進んで、最後の儀式即ち参詣の処女に僧正手ずから月桂樹を渡して、救世主の入城を頌歌する場合になっていたのだ。そしてクララだけが祭壇に来なかったので僧正自らクララの所に花を持って来たのだった。クララが今夜出家する・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・その結果は、啻に道徳上の破産であるのみならず、凡ての男女関係に対する自分自身の安心というものを全く失って了わねば止まない、乃ち、自己その物の破産である。問題が親子の関係である際も同である。 二 右の例は、一部の・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・かくてともかくにポストの三めぐりが済むとなお今一度と慥めるために、ポストの方を振り返って見る。即ちこれ程の手数を経なければ、自分は到底安心することが出来なかったのである。 しかるにある時この醜態を先生に発見せられ、一喝「お前はなぜそんな・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・こないな時の寂しさは乃ち恐怖や、おそれや。それに、発砲を禁じられとったんで、ただ土くれや唐黍の焼け残りをたよりに、弾丸を避けながら進んで行たんやが、僕が黍の根を引き起し、それを堤としてからだを横たえた時、まア、安心と思たんが悪かったんであろ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・地震で焼けた向島の梵雲庵は即ち椿岳の旧廬であるが、玄関の額も聯も自製なら、前栽の小笹の中へ板碑や塔婆を無造作に排置したのもまた椿岳独特の工風であった。この小房の縁に踞して前栽に対する時は誰でも一種特異の気分が湧く。就中椿岳が常住起居した四畳・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是れ約束である、現世に於ける貧は来世に於ける富を以て報いらるべしとのことである。 哀む者は福なり、其故如何? 将さに現われんとする天国に於て其人は安慰を得べければ也とのことで・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃というものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だという事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくし・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・一つの事実をじっと凝視するという事は、即ち凝視そのものが私はある意味で愛そのものだと云い得ると思う。この意味から自分の敵に対しても凝視を怠ってはならぬ。 私一個の考から云えば、人を愛するという事も、憎むという事も同じである。憎み切ってし・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・しかし、この可能性に限界を与えるものがある。即ち、定跡というものであり、小説の約束というオルソドックスである。坂田三吉は定跡に挑戦することによって、将棋の可能性を拡大しようとしたのだ。相懸り法は当時東京方棋師が実戦的にも理論的にも一応の完成・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫