・・・新聞記者になれるのだと喜んでいたのに、自転車であちこちの記者クラブへ原稿を取りに走るだけの芸だった。何のことはないまるで子供の使いで、社内でも、おい子供、原稿用紙だ、給仕、鉛筆削れと、はっきり給仕扱いでまるで目の廻わるほどこき扱われた。一日・・・ 織田作之助 「雨」
・・・彼は書きかけの原稿やペンやインキなど入れた木通の籠を持ち、尋常二年生の彼の長男は書籍や学校道具を入れた鞄を肩へかけて、袴を穿いていた。幾日も放ったらかしてあった七つになる長女の髪をいゝ加減に束ねてやって、彼は手をひいて、三人は夜の賑かな人通・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ と言う声が聞えて、寺のお婆さんが取次いで持ってきてくれたが、原稿催促の電報だろうと手に取ってみると、差出人が妻の名だったので、私はハッとして息を呑んだ。「雪子が死んだ……」そう思うと封を切る手が慄えた。――チチシスアサ七ジウエノツク―・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・そして来年の一月から同人雑誌を出すこと、その費用と原稿を月々貯めてゆくことに相談が定ったのです。私がAの家へ行ったのはその積立金を持ってゆくためでした。 最近Aは家との間に或る悶着を起していました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲し・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・』 秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取り上げた。その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと同じことで他人にはわからないのだから。』といっても大津は秋山の・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・それは十二文豪の一篇として書いたものだが、すっかり書き終らなかったもので、丁度病中に細君が私の処へその原稿を持って来て、これを纏めて呉れないかという話があって、その断片的な草稿を文字の足りない処を書き足して、一冊の本に纏めたという縁故もあり・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・は遊ぶ事が何よりも好きなので、家で仕事をしていながらも、友あり遠方より来るのをいつもひそかに心待ちにしている状態で、玄関が、がらっとあくと眉をひそめ、口をゆがめて、けれども実は胸をおどらせ、書きかけの原稿用紙をさっそく取りかたづけて、その客・・・ 太宰治 「朝」
・・・という雑誌を発行したときも、この兄は編輯長という格で、私に言いつけて、一家中から、あれこれと原稿を集めさせ、そうして集った原稿を読んでは、けッと毒笑していました。私が、やっと、長兄から「めし」という随筆を、口述筆記させてもらって、編輯長のと・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・で、原稿を関君に渡して、ほっと呼吸をついた。 それから後は、なかば校正の筆を動かしつつ書いた。関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわけには行かない。夜は遅くまで灯の影が庭の樹立の間にかがやいた。 反響・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・机の上には二、三の雑誌、硯箱は能代塗りの黄いろい木地の木目が出ているもの、そしてそこに社の原稿紙らしい紙が春風に吹かれている。 この主人公は名を杉田古城といって言うまでもなく文学者。若いころには、相応に名も出て、二、三の作品はずいぶん喝・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫