・・・真っ黒な猫が厨房の方から来て、そッと主人の高い膝の上にはい上がって丸くなった。主人はこれを知っているのかいないのか、じっと目をふさいでいる。しばらくすると、右の手が煙草箱の方へ動いてその太い指が煙草を丸めだした。『六番さんのお浴湯がすん・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・がファッシズムのもとにどんなに圧しひしがれ同調したかということは後にあらわれる「厨房日記」その他において示された。「冬を越す蕾」は、同じ一九三四年の十一月にかかれ、複雑で困難な転向の問題をとりあげている。こんにちのわたしとしては、もう一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・横光利一氏が本年一月『改造』に発表した「厨房日記」は日本的なるものとして又人間の知性の完全無欠な形として、封建時代の義理人情を随喜渇仰する小説であって、常識ある者を驚かしたが、当時にあっては、彼の復古主義も情勢の在りように従って「紋章」の中・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・一九三七年一月に発表された同氏の「厨房日記」にあらわれたインテリゲンツィアとしての思想性の全くの喪失と、今日純粋小説が昔ながら通俗小説に終らざるを得ない諸事情の萌芽は、この純粋小説論にふくまれている多くの矛盾に根をおいているのである。 ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 対外文化協会発行のパンフレットは 新しい共同厨房の蒸気釜の写真をのせる。「食う準備」は人類が獣の皮を腰に巻きつけて棍棒と石でマンモスと戦った時代からの問題であった。 スパルタ以来最も台所から解放された市民はモスクと New Y・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ 本年の初頭に、横光利一氏が「厨房日記」という小説を発表した。その中で奇妙な民族の優越性の解釈と知性の放棄とを主張し、流石の彼の追随者たちをも愕かした。 その後数ヵ月を経て、森山啓氏の「収獲以前」という小説が発表されたのであったが、・・・ 宮本百合子 「全体主義への吟味」
・・・ソヴェト同盟では、十四年来面倒な台所を、大仕掛の国営厨房工場というものに変えることをやって来た。 尤も、昔からロシア人は、日本人のように三度三度米の飯をたべたり、味噌汁をのんだりはしない習慣だ。工場労働者でも、農民でも、スターリンだって・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の解放された生活」
・・・炊事でもめいめいが台所で僅の材料を買って、時間を費して、大して美味くもないものを拵えて食べているより、モスクワでは既に出来ているが、大きな厨房工場、台所工場、そこで科学的に原料を調べて、この牛肉は何時に殺した肉だから、何時間後に何分煮て食べ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・『改造』新年号に「厨房日記」を読んだ人は、おそらく梶という名で立ちあらわれている一人物を通して作家横光の複雑な苦境と混乱とそれに何とか恰好をつけようとしてとられている身振りの貧寒さを感ぜざるを得なかったであろうと思う。 この錯雑した作品・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・大し労働条件が悪化する社会では次第に自分の教養を活かすような勤め口を見つけることがむずかしくなり、それは自身の書く便利のためにとった選択であると思いこみつつ、実は客観的な力に押されて、最も不熟練工的な厨房での仕事によって賃銀を得なければなら・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
出典:青空文庫