・・・ 老紳士はほとんど厳粛に近い調子で、のしかかるように云い切った。日頃から物に騒がない本間さんが、流石に愕然としたのはこの時である。が、理性は一度脅されても、このくらいな事でその権威を失墜しはしない。思わず、M・C・Cの手を口からはなした・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ * 良心とは厳粛なる趣味である。 * 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ甞て、良心の良の字も造ったことはない。 * 良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。そう云う愛好者・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・それらは皆電燈の光に、この古めかしい応接室へ、何か妙に薄ら寒い、厳粛な空気を与えていた。が、その空気はどう云う訣か、少将には愉快でないらしかった。 無言の何分かが過ぎ去った後、突然少将は室外に、かすかなノックの音を聞いた。「おはいり・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 深夜の沈黙は私を厳粛にする。私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。よく眠れ。不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。そうして明日・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・……ところで、これからがほんとうの計略になるんだが、……おいみんな厳粛な気持ちで俺のいうことを聞け。おまえたちのうち誰でも、この場に死んだとして、今まで描いたものを後世に遺して恥じないだけの自信があるか、どうだ。生蕃どうだ。沢本 なく・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・というものに対して、もっと厳粛な態度をもたねばならぬ。 すこし別なことではあるが、先ごろ青山学院で監督か何かしていたある外国婦人が死んだ。その婦人は三十何年間日本にいて、平安朝文学に関する造詣深く、平生日本人に対しては自由に雅語を駆使し・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ かかりしとき医学士は、誓うがごとく、深重厳粛たる音調もて、「夫人、責任を負って手術します」 ときに高峰の風采は一種神聖にして犯すべからざる異様のものにてありしなり。「どうぞ」と一言答えたる、夫人が蒼白なる両の頬に刷けるがご・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・持ち帰った包みの中からは、厳粛な顔つきでレオナドがのぞいている。 神経の冴え方が久しぶりに非常であるのをおぼえた。……ビスマクの首……グラドストンの首……かつて恋しかった女どもの首々……おやじの首……憎い友人どもの首……鬼女や滝夜叉の首・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・こういう厳粛な敬虔な感動はただ芸術だけでは決して与えられるものでないから、作者の包蔵する信念が直ちに私の肺腑の琴線を衝いたのであると信じて作者の偉大なる力を深く感得した。その時の私の心持は『罪と罰』を措いて直ちにドストエフスキーの偉大なる霊・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・若しこの社会の有力なる識者が、真に母が子供に対する如き無窮の愛と、厳粛さとを有って行うのであれば宜しいけれども、そうでないならば寧ろ自然の儘に放任して置くに如かぬ、彼等の多くは愛を誤解している。 茲に苦しんでいる人間があるとする。それを・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫