・・・ 中学を出て、高等学校の入学試験を受ける準備にと、わたくしたちは神田錦町の英語学校へ通った時、始めてヂッケンスの小説をよんだ。 話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるので、家の・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・夫を講じないで、徒らに表彰の儀式を祭典の如く見せしむるため被賞者に絶対の優越権を与えるかの如き挙に出でたのは、思慮の周密と弁別の細緻を標榜する学者の所置としては、余の提供にかかる不公平の非難を甘んじて受ける資格があると思う。 学士会院が・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・ 彼女が女性である以上、私が衝動を受けることは勿論あり得る。だが、それはこんな場合であってはならない。この女は骨と皮だけになっている。そして永久に休息しようとしている。この哀れな私の同胞に対して、今まで此室に入って来た者共が、どんな残忍・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ところが真に受ける奴は一人も無い。馬鹿にして笑ってけつかる。それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・そういう時は見ても見えず、聞いても聞えず、心は何処か余所になってしまっていて、貴い熱も身を温めず、貴い波も身を漂わさず、他の人が何日か出会って、一度は争って、終には恵みを受ける習の神には己は逢わずにしまった。死。いや。この世の生活をこの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 余は行脚的旅行は多少の経験があるが、しかしこの紀行にあるように各地で歓迎などを受ける旅行はまだした事がない。毎日毎日歓迎を受けるのは楽しい者であるか苦しい者であるか余にはわからぬが時としてはうるさい事もあるであろう。けれども一日の旅行・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるじゃ、この身終って次の生まで、その妄執は絶えぬのじゃ。遂には共に修羅に入り闘諍しばらくもひまはないじゃ。必らずともにさようのたくみはならぬぞや。」 けたたましくふくろうのお母さんが叫びました。「穂・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験がされている。同時に日本の大衆が人民的な民主主義の道を歩きはじめて、中・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・反面から言うと、もし自分が殉死せずにいたら、恐ろしい屈辱を受けるに違いないと心配していたのである。こういう弱みのある長十郎ではあるが、死を怖れる念は微塵もない。それだからどうぞ殿様に殉死を許して戴こうという願望は、何物の障礙をもこうむらずに・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・感覚的表徴は悟性によりて主観的制約を受けるが故に混濁的清澄を持つほど貴い。だが、官能的表徴は客観によりて主観的制約を受けるが故に清澄性故の直接清澄を持つほど貴重である。前者は立体的清澄を後者は平面的清澄を尊ぶ。新感覚が清少納言に比較して野蛮・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫