・・・贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐った・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・ 次郎は次郎でこんなふうに引き受け顔に言って、画作の暇さえあれば一人でも借家をさがしに出かけた。 今さらのように、私は住み慣れた家の周囲を見回した。ここはいちばん近いポストへちょっとはがきを入れに行くにも二町はある。煙草屋へ二町、湯・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・お城は日の光を受けてきらきら光っていました。 大男は、みんなでそのお城をかついで、ぞうさもなく海ばたまで持って来ました。そうすると、そこへ鯨がみんなで出て来て、それを背中へのせて、向うの港まではこんでいって、王さまの御殿のそばへおし上げ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・どうやら、世の中から名士の扱いを受けて、映画の試写やら相撲の招待をもらうのが、そんなに嬉しいのかね。此頃すこしはお金がはいるようになったそうだが、それが、そんなに嬉しいのかね。小説を書かなくたって名士の扱いを受ける道があったでしょう。殊にお・・・ 太宰治 「或る忠告」
・・・銃と背嚢とを二人から受け取ったが、それを背負うと危く倒れそうになった。眼がぐらぐらする。胸がむかつく。脚がけだるい。頭脳ははげしく旋回する。 けれどここに倒れるわけにはいかない。死ぬにも隠れ家を求めなければならぬ。そうだ、隠れ家……。ど・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ ところがおれの受け取ったのは、勲章でもなければ、大臣の辞令でもない。例の襟である。極右党の先生が御丁寧にも札を附けてくれた。こんな事が書いてある。「露国の名誉ある貴族たる閣下に、御遺失なされ候物品を返上致す機会を得候は、拙者の最も光栄・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ただ一つの逸話として伝えられているのは、彼が五歳の時に、父から一つの羅針盤を見せられた事がある、その時に、何ら直接に接触するもののない磁針が、見えざる力の作用で動くのを見て非常に強い印象を受けたという事である。その時の印象が彼の後年の仕事に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・参謀本部へ、一時金を受けに行くと、そこにいた掛の方が、『大瀬晴二郎の父親の吉兵衛と云うのあお前か』と云うんです。へえ、さようでござえんすと申しあげると、晴二郎は内地で死んだんだから、金は下げる訳にいかん、帰れ帰れと恁う云うんでしょう。・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・死の宣告を受けて法廷を出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠である。彼らはかくして笑を含んで死んだ。悪僧といわるる内山愚童の死顔は平和であった。かくして十二名の無政府主義者は死んだ。数えがたき無政府主義者の種子は蒔かれ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・東京に帰ればやがて徴兵検査も受けなければならず。また高等学校にでも入学すれば柔術や何かをやらなければならない。わたくしにはそれが何よりもいやでならなかったのである。しかしわたくしの望みは許されなかった。そしてその年の冬、母の帰京すると共に、・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫