・・・ランカイをごらんなさればよろしいに、と南国訛りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑の吉野へも行く、神戸へ行く、ナイヤガラ、と・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ 今戸橋をわたると広い道路は二筋に分れ、一ツは吉野橋をわたって南千住に通じ、一ツは白鬚橋の袂に通じているが、ここに瓦斯タンクが立っていて散歩の興味はますますなくなるが、むかしは神明神社の境内で梅林もあり、水際には古雅な形の石燈籠が立って・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・そして長谷川如是閑氏や吉野作造氏の序文がついていることから、当時は全くわからなかったが、その井口という人が新人会初期の時代に青年期を生活した人であったことを理解し、当時の進歩的であった大学生の生活と今日の急進的学生の生活内容との間にある違い・・・ 宮本百合子 「生活の道より」
・・・二十三歳頃吉野の方へ放浪した時も、藤村はこの経験によって一層芭蕉を理解することが出来るようになったと語っている。芭蕉の芸術はその文学的教養の面から、自然に没入する過去の日本芸術の伝統を藤村に植えた。加えて内部には、幼くて故郷から引はなされた・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・という講題の古めかしさも、そのころの日本の思想のありかたを示している。吉野作造がデモクラシーを唱え、文学ではホイットマンの「草の葉」などが注目されはじめていた時代であった。夏目漱石という一人のすぐれた明治の文学者は、経済事情も文化の条件もお・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
出典:青空文庫