・・・当時の先生は同窓の一部の人々にはたいそうこわい先生だったそうであるが、自分には、ちっともこわくない最も親しいなつかしい先生であったのである。 科外講義としておもに文科の学生のために、朝七時から八時までオセロを講じていた。寒い時分であった・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ただ一人親しく往来していた同窓の男が地方へ就職して行ってからは、別に新しい友も出来ぬ。ただこの頃折々牛込の方へ出ると神楽坂上の紙屋の店へ立寄って話し込んでいる事がある。この紙屋というのは竹村君と同郷のもので、主人とは昔中学校で同級に居た事が・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、その人の背後の窓から来る強い光線が頭髪に映っているのを注意して見ると、漆黒な色の上に浮ぶ紫色の表面色が或るアニリン染料を思い出させたりした。 またある日私の先輩の一人が老眼鏡をかけた見馴れぬ顔・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・で、私がこのごろ二十五六年ぶりで大阪で逢った同窓で、ある大きなロシヤ貿易の商会主であるY氏に、一度桂三郎を紹介してくれろというのが、兄の希望であった。私は大阪でY氏と他の五六の学校時代の友人とに招かれて、親しく談話を交えたばかりであった。彼・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・痘痕があって、片目で、背の低い田舎書生は、ここでも同窓に馬鹿にせられずには済まなかった。それでも仲平は無頓着に黙り込んで、独り読書に耽っていた。坐右の柱に半折に何やら書いて貼ってあるのを、からかいに来た友達が読んでみると、「今は音を忍が岡の・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・第四高等学校を卒業してその九月から東京の大学へ来た中学時代の同窓の友人からである。 その友人は岡本保三と言って、後に内務省の役人になり、樺太庁の長官のすぐ下の役などをやった。明治三十九年の三月に中学を卒業して、初めて東京に出てくる時にも・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫