・・・太十は女房を喚び挂けて盥を借りようとした。商売柄だけに田舎者には相応に機転の利く女房は自分が水を汲んで頻りに謝罪しながら、片々の足袋を脱がして家へ連れ込んだ。太十がお石に馴染んだのは此夜からであった。そうして二三日帰らなかった。女の切な情と・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「しかしそれが商売だからしようがない」「商売なら勘弁してやるから、金だけ貰って当り障りのない事を喋舌るがいいや」「そう怒っても僕の咎じゃないんだから埓はあかんよ」「その上若い女に祟ると御負けを附加したんだ。さあ婆さん驚くまい・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・死ぬのが可いのよ。死ぬのが商売の軍人さんじゃないか。何も人の子まで連れてって、無理に殺さないだって可いわ。何の為か知らないけれども、能くマア殺しに行くわねえ。』と、頬には冷かな笑みがまた見えるのでした。 無論大きな声ではなかったが、私達・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・まずい商売だよ。競争者が多過ぎるのだ。お得意の方で、もう追っ附かなくなっている。おれなんぞはいろんな事をやってみた。恥かしくて人に手を出すことの出来ない奴の真似をして、上等の料理屋や旨い物店の硝子窓の外に立っていたこともある。駄目だ。中にい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・今の日本の習俗に於て、仕官又は商売等、戸外百般の営業は男子の任ずる所にして、一家の内事を経営するは妻の職分なり。衣服飲食を調え家の清潔法に注意し又子供を養育する等は都て人生居家の大事、之を男子戸外の業務に比して難易軽重の別なし。故に此内事の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そして国際的関係に首を突込んで、志士肌と商売肌を混ぜてそれにまた道徳的のことも加えたり何かして見ると、かのセシルローズなぞが面白い人物と思われるようになった。単に金持が羨しいんじゃない。形は違うが、一つああいう風の事業をやろうと云うのを見当・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・しかし猫には夕飯まで喰わして出て来たのだからそれを気に掛けるでもないが、何しろ夫婦ぐらしで手の抜けぬ処を、例年の事だから今年もちょっとお参りをするというて出かけたのであるから、早く帰らねば内の商売が案じられるのである。ほんとうに辛抱の強い、・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」「何鳥ですか。」「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」「鶴はたくさんいますか。」「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」「いいえ。」「いまでも聞えるじゃありません・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 何か沢やらしい商売でもしていたのか? つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんと略同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だっ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・しかし人身売買はかなり気の咎める商売である。それには何か口実がなくてはならない。そこでニグロは半ば獣だということにされた。また Fetisch という概念がアフリカの宗教の象徴として発明された。呪物崇拝などということは全くのヨーロッパ製であ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫