・・・すると、地べたにすわっていた親猿が心得顔に手を出して、手のひらを広げたままで吸いがらを地面にこすりつけて器用にその火をもみ消してしまった。そうしてその燃えがらをつまみ上げ、子細らしい手つきで巻き紙を引きやぶって中味の煙草を引き出したと思うと・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・何をさせても器用であって、彼の作った紙鳶は風の弱い時でも実によく揚りそうして強風にも安定であった。一緒に公園の茂みの中にわなをかけに行っても彼のかけた係蹄にはきっとつぐみや鶸鳥が引掛かるが、自分のにはちっともかからなかった。鰻釣りや小海老釣・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、それ以来みかんの食い方だけはこの梅ヶ谷のまねをすることにきめてしまった。 ラジオの放送を聞きながらこんな取り止めもないことを・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ちょっと見た時にはかつて夏目先生が云われたじじむさいような点や、一見甚だしく不器用なようみ見える描き方や、科学的幾何学的の不合理というようなものが目に付きやすい、それにかかわらず何とも名状の出来ぬ一種の清新な空気が画面に泛うている事は極端な・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・私なんざア流連をする玉でないんだから、もうじきにお暇とするんだが、花魁今朝だけは器用に快よく受けて下さいな。これがお別れなんだ。今日ッきりもうお前さんと酒を飲むこともないんだから、器用に受けて、お前さんに酌をしてもらやアいい。もう、それでい・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 画家の本道的な業績を、大局からみてこの新しい関係が高めたか、或は通俗に堕す部分を生ぜしめたかということは簡単に云い得ないけれども、文学についてみれば、或る作家たちが目下器用にこなしているこの両刀使いの方法は、少くとも、作家と読者との関・・・ 宮本百合子 「おのずから低きに」
・・・それを器用に染め直して、お前は女の子だからこんなことも覚えてお置きとは云わなかったところに、よかれあしかれうちの特徴があると思う。 どういう時代でも、抽象的な家庭教育などというものはなくて、畢竟は親たちの生きてゆく日々が家全体の空気とし・・・ 宮本百合子 「親子一体の教育法」
・・・然し、創作も、筆先の器用さでのみ決するのを正としない自分は、どうかしても、自分と云うその者の本体の裡に戻って考えずにはいられなく成るのである。 男性の中にも、下等な心情の人はある。従って、下等な心情の作家もあり得る。そこ許りを見て、私共・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・人事については家柄に頼らず、一々の人の器用忠節を見きわめて任用すべきことを力説している。戦争については、吉日を選び、方角を考えて時日を移すというような、迷信からの脱却を重大な心掛けとして説いている。その他正直者の重用を説き、理非を絶対に曲げ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・いかに人形使いの手先が器用であるからといって、人形に無限に多様な動きを与えることはできない。手先の働きには限度がある。そこでこの限度内において人形を動かすためには、不必要な動作、意味の少ない動作は切り捨てるほかはない。そうすれば人の動作にと・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫