さかのうえのいらつめ【坂上郎女】
⇒大伴坂上郎女 (おおとものさかのうえのいらつめ)
さかのうえのこれのり【坂上是則】
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。坂上田村麻呂の4代の孫。望城 (もちき) の父。家集に「是則集」がある。生没年未詳。
さかのうえのたむらまろ【坂上田村麻呂】
[758〜811]平安初期の武将。延暦13年(794)蝦夷 (えぞ) を征討し、同16年征夷大将軍となった。その後、胆沢城 (いさわじょう) を造営し、蝦夷地平定に功を残した。京都の清水寺の創建者と伝えられる。
さかのうえのもちき【坂上望城】
[?〜975?]平安中期の歌人。是則の子。梨壺 (なしつぼ) の五人の一人として万葉集の訓釈、後撰集の撰進にあたった。