幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神戸あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、文字も俗字を先きにして雅言を後に・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・「一、山男紫紺を売りて酒を買い候事、山男、西根山にて紫紺の根を掘り取り、夕景に至りて、ひそかに御城下(盛岡へ立ち出で候上、材木町生薬商人近江屋源八に一俵二十五文にて売り候。それより山男、酒屋半之助方へ参り、五合入程の瓢箪を差出し、こ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・大分臼杵という町は、昔大友宗麟の城下で、切支丹渡来時代、セミナリオなどあったという古い処だが、そこに、野上彌生子さんの生家が在る。臼杵川の中州に、別荘があって、今度御好意でそこに御厄介になったが、その別荘が茶室ごのみでなかなかよかった。臼杵・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・つい目の先に桜島を泛べ、もうっと暑気で立ちこめた薄靄の下に漣一つ立てずとろりと輝いていた湾江、広々と真直であった城下の街路。人間もからりと心地よく、深い好意を感じたが、思い出すと、微に喉の渇いたような、熔りつけられた感覚が附随して甦って来る・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。 いよいよ当日になった。うららかな日和で、霊屋のそばは桜の盛りである。向陽院の周囲には幕を引き廻わして、歩卒が警護している。当主がみずから臨場し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主人松向寺殿御逝去遊ばされて後、肥後国八代の城下を引払いたる興津の一家は、同国隈本の城下に在住候えば、この遺書御目に触れ候わば、はなはだ慮外の至に候えども、幸便を以・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・そしてその日のうちに姫路の城下平の町の稲田屋に這入った。本意を遂げるまでは、飽くまでも旅中の心得でいて、倅の宅には帰らぬのである。 宇平は九郎右衛門を送って置いて、十二月十日に文吉を連れて下関を立った。それから周防国宮市に二日いて、室積・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ ある時信康は物詣でに往った帰りに、城下のはずれを通った。ちょうど春の初めで、水のぬるみ初めた頃である。とある広い沼のはるか向うに、鷺が一羽おりていた。銀色に光る水が一筋うねっている側の黒ずんだ土の上に、鷺は綿を一つまみ投げたように見え・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫