・・・二人は墓前に紅梅の枝を手向けた。それから新しい四基の石塔に順々に水を注いで行った。…… 後年黄檗慧林の会下に、当時の病み耄けた僧形とよく似寄った老衲子がいた。これも順鶴と云う僧名のほかは、何も素性の知れない人物であった。・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪うらしい、思わせぶりな感傷に充ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺に詣ずるの記」くらいは、惻々たる哀怨の辞をつら・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・ 建治二年三月旧師道善房の訃音に接するや、日蓮は悲嘆やる方なく、報恩鈔二巻をつくって、弟子日向に持たせて房州につかわし、墓前に読ましめ「花は根にかえる。真味は土にとどまる。此の功徳は故道善房の御身にあつまるべし」と師の恩を感謝した。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・とある杉垣の内を覗けば立ち並ぶ墓碑苔黒き中にまだ生々しき土饅頭一つ、その前にぬかずきて合掌せるは二十前後の女三人と稚き女の子一人、いずれも身なり賤しからぬに白粉気なき耳の根色白し。墓前花堆うして香煙空しく迷う塔婆の影、木の間もる日光をあびて・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・斥し、日本にては織田信長が武田勝頼の奸臣、すなわちその主人を織田に売らんとしたる小山田義国の輩を誅し、豊臣秀吉が織田信孝の賊臣桑田彦右衛門の挙動を悦ばず、不忠不義者、世の見懲しにせよとて、これを信考の墓前に磔にしたるがごとき、是等の事例は実・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・エンゲルスの墓前での言葉は次のように結ばれた。「このような精力と熱情をもち、戦友に対してこれほどの献身をもつ婦人が、四十年近い間に運動のために尽した業績――このことは何びとも語らず、この事は同時代の新聞にも記録されていない。しかし私・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫