・・・私もまた、眼帯のために、うつうつ気が鬱して、待合室の窓からそとの椎の若葉を眺めてみても、椎の若葉がひどい陽炎に包まれてめらめら青く燃えあがっているように見え、外界のものがすべて、遠いお伽噺の国の中に在るように思われ、水野さんのお顔が、あんな・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・ ヘレン・ケラーは生後十八ヶ月目に重い病のために彼女の魂と外界との交通に最も大切な二つの窓を釘付けされてしまったにかかわらず、自由に自国語を話し、その上独、仏、羅、希にも通ずるようになった。指先を軽く相手の唇と鼻翼に触れていれば人の談話・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・は目も耳も指も切り取って、あらゆる外界との出入り口をふさいで、そうして、ただ、生きていることと、考えることとだけで科学を追究し、自然を駆使することができるのではないかという空想さえいだかせられる恐れがある。しかし、それがただの夢であることは・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・その一つは心理的な側からするものであって、それは、暗示の力により、自分の期待するものの心像をそれに類似した外界の対象に投射するという作用によって説明される。枯れ柳を見て幽霊を認識する類である。もう一つの答解は物理的あるいはむしろ生理的音響学・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
一 ハイディンガー・ブラッシ 目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃん・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・の人間であるゆえんもやはりその人間と外界との「境界面」によって決定されるのではないか。境界面を示さない人間は不可視人間であり、それは結局、非人間であり無人間であるとも言われるかもしれない。善人、悪人などというものはなくて、他に対して善をする・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・試みに御自分の両眼の間に新聞紙を拡げて前に突き出して左右の眼で外界を御覧になると御疑問が解決せられるのです。御試みありたし、」 魚や鳥のように人間の両眼の視界がそれぞれに身体の左右の側の前後に拡がっていたとしたら吾人の空間観がどんな・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・そして意外な時に出て来て外界をのぞく事がある。たとえば郊外を歩いていて道ばたの名もない草の花を見る時や、あるいは遠くの杉の木のこずえの神秘的な色彩を見ている時に、わずかの瞬間だけではあるが、このえびの幻影を認める事ができる。それが消えたあと・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 吾人が外界の事象を理解し系統化するための道具として、いわゆる認識の形式の一つとして「時」を見なす事には多くの科学者も異論はないであろうが、それだけでは「時」の観念の内容については何事も説明されない。近ごろベルグソンが出て来て、カントや・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・元来人間の命とか生とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟に対してどう反応するかという点を細・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫