・・・ 西洋の詩人や文学者に、あれほど広く大きな影響をあたへたニイチェが、日本ではただ一人、それも死前の僅かな時期に於ける一小説家だけに影響をあたへたといふことは、まことに特殊な不思議の現象と言はねばならない。そのくせニイチェの名前だけは、日・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・底についたらしく手に感じたとき、すぐにグイグイと引っぱられ、あわてて引きあげてみると、大きなソコブクがかかっていた。釣れるときにはこんなにあっけなくかかるのに、釣れないとなると、どうにもしかたがないものである。私が成功したのは後にも先にもこ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ 三ツばかり先の名代部屋で唾壺の音をさせたかと思うと、びッくりするような大きな欠伸をした。 途端に吉里が先に立ッて平田も後から出て来た。「お待遠さま。兄さん、済みません」と、吉里の声は存外沈着いていた。 平田は驚くほど蒼白た・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・それなのにあなたは大きななりをして、はにかんでばかりいらっしゃったのですもの。それは六つも年上の若後家の前だからでございましたのね。六つ違いますわねえ。おまけに男のかたが十七で、高等学校をお出になったばかりで、後家はもう二十三になっているの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・この大きな葉の色が面白い、なんていうので、窮した処までほめられるような訳で僕は嬉しくてたまらん。そこでつくづくと考えて見るに、僕のような全く画を知らん者が始めて秋海棠を画いてそれが秋海棠と見えるは写生のお蔭である。虎を画いて成らず狗に類すな・・・ 正岡子規 「画」
苔いちめんに、霧がぽしゃぽしゃ降って、蟻の歩哨は鉄の帽子のひさしの下から、するどいひとみであたりをにらみ、青く大きな羊歯の森の前をあちこち行ったり来たりしています。 向こうからぷるぷるぷるぷる一ぴきの蟻の兵隊が走って来・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・停車場を出たばかりで、もうこの辺の空気が東京と違うのが感じられた。大きな石の一の鳥居、松並木、俥のゴム輪が砂まじりの路を心持よく行った。いかにも鎌倉らしい町や海辺の情景が、冬で人が少いため、一種独特の明るい闊達さで陽子の心に映った。「冬・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・牛のすぐ後ろへ続いて、妻が大きな手籠をさげて牛の尻を葉のついたままの生の木枝で鞭打きながら往く、手籠の内から雛鶏の頭か、さなくば家鴨の頭がのぞいている。これらの女はみな男よりも小股で早足に歩む、その凋れたまっすぐな体躯を薄い小さなショールで・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・「又何か大きな物にかじり附いているね。」こう云って秀麿の顔を見ながら、腰を卸した。 ―――――――――――――――― 綾小路は学習院を秀麿と同期で通過した男である。秀麿は大学に行くのに、綾小路は画かきになると云って、・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫