・・・しかし母親を起こすことを考えると、こんな感情を抑えておそらく何度も呼ばなければならないだろうという気持だけでも吉田はまったく大儀な気になってしまうのだった。――しばらくして吉田はこの間から自分で起こしたことのなかった身体をじりじり起こしはじ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
九段坂の最寄にけちなめし屋がある。春の末の夕暮れに一人の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗い土間に居並ぶ人影もおぼろである。 先客の三人も今来た一人も、みな土方か立ちんぼう・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・それは人生の大儀だ。結婚後に性の問題に多少心ゆるむことはまだしも許される。結婚前には心を張り、体を清くして、美しい恋愛に用意していなければならぬ。自分の妻を、子どもの母をきめんための恋愛だからだ。結婚前に遊戯恋愛や、情事をつみ重ねようとする・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・が、丁度、橇からおりた者が、彼のうしろから大儀そうにぞろ/\押しよせて来た。彼は、それをさきへやり過ごそうとした。みんな防寒具にかゝった雪を払い払い彼につきあたって通った。ブル/\慄えている脚はひょろ/\した。彼は、道の真中にある石のように・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・少し風邪気味で、大儀な時にでも無理をして勤務をおろそかにしなかった。 ――そうして、その報いとして得たものは、あと、もう一箇年間、お国のために、シベリアにいなければならないというだけであった。 二人は、だまし討ちにあったような気がし・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・寒さに、おしかが大儀がって追いに行かずにいると猫は再び蓋をごとごと動かした。「くそっ! 飯を喰いに来やがった!」おしかは云って追っかけた。猫は人が来るのを見ると、急に土間にとびおりて床の下に這いこんだ。そして、何か求めるようにないた。・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・いいえ、それはもう、いまの日本では、私たちに限った事でなく、殊にこの東京に住んでいる人たちは、どちらを見ても、元気が無くおちぶれた感じで、ひどく大儀そうにのろのろと動き廻っていて、私たちも持物全部を焼いてしまって、事毎に身のおちぶれを感ずる・・・ 太宰治 「おさん」
・・・こんどはじめて亭主の肉親たちに逢うのですから、女は着物だのなんだの、めんどうな事もあるでしょうし、ちょっと大儀がるかも知れません。そこは北さんから一つ、女房に説いてやって下さい。私から言ったんじゃ、あいつは愚図々々いうにきまっていますから。・・・ 太宰治 「故郷」
・・・いったら、馬場は部屋の隅の机に頬杖ついて居汚く坐り、また太宰という男は馬場と対角線をなして向きあったもう一方の隅の壁に背をもたせ細長い両の毛臑を前へ投げだして坐り、ふたりながら眠たそうに半分閉じた眼と大儀そうなのろのろした口調でもって、けれ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・と覚悟していたが、しかし、久し振りで防空服装を解いて寝て、わずかに安堵するかせぬうちに、またもや身ごしらえして車を引き、妻子を連れて山の中の知らない家の厄介になりに再疎開して行くのは、何とも、どうも、大儀であった。 頑張って見ようじゃな・・・ 太宰治 「薄明」
出典:青空文庫