・・・と衝と茶の間を抜ける時、襖二間の上を渡って、二階の階子段が緩く架る、拭込んだ大戸棚の前で、入ちがいになって、女房は店の方へ、ばたばたと後退りに退った。 その茶の室の長火鉢を挟んで、差むかいに年寄りが二人いた。ああ、まだ達者だと見える。火・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・沓脱は大戸を明けて、直ぐその通庭なる土間の一端にありて、上り口は拭き込みたる板敷なり。これに続ける六畳は、店と奥との中の間にて、土地の方言茶の室と呼べり。その茶の間の一方に長火鉢を据えて、背に竹細工の茶棚を控え、九谷焼、赤絵の茶碗、吸子など・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・――電報一本で、遠くから魔術のように、旅館の大戸をがらがらと開けさせて、お澄さんに、夜中に湯をつかわせて、髪を結わせて、薄化粧で待たせるほどの大したお客なんだもの。」「まあ、……だって貴方、さばき髪でお迎えは出来ないではございませんか。・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・宿のその二階家の前は、一杯の人だかりで……欄干の二階の雨戸も、軒の大戸も、ぴったりと閉まっていました。口々に雑談をするのを聞くと、お谷さんが、朝化粧の上に、七つ道具で今しがた、湯へ行こうと、門の小橋を跨ぎかけて、あッと言った、赤い鼠! と、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ と謂う折しも凄まじく大戸にぶつかる音あり。「あ、痛。」 と謙三郎の叫びたるは、足や咬まれし、手やかけられし、犬の毒牙にかかれるならずや。あとは途ぎれてことばなきに、お通はあるにもあられぬ思い、思わず起って駈出でしが、肩肱いかめ・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ あとの大戸を、金の額ぶちのように背負って、揚々として大得意の体で、紅閨のあとを一散歩、贅を遣る黒外套が、悠然と、柳を眺め、池を覗き、火の見を仰いで、移香を惜気なく、酔ざましに、月の景色を見る状の、その行く処には、返咲の、桜が咲き、柑子・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・事に握って、一六の夜ごとに出る平野町の夜店で、一串二厘のドテ焼という豚のアブラ身の味噌煮きや、一つ五厘の野菜天婦羅を食べたりして、体に油をつけていましたが、私は新参だから夜店へも行かしてもらえず、夜は大戸を閉めおろした中で、手習いでした。お・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・の安心で、大戸の中の潜り戸とおぼしいところを女に従って、ただ只管に足許を気にしながら入った。女は一寸復締りをした。少し許りの土間を過ぎて、今宵の不思議な運を持来らした下駄と別れて上へあがった。女は何時の間に笠を何処へ置いたろう、これに気付い・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ それで気がついて左側を見ると、もう七分どおり大戸をおろした店のまわりなどまだらな光の裡に、ステッキをつき、浴衣がけで、走っている円タクを止めるでもなく、ぶらりと立っている男が、そこここに目に入る。私はいやな気持で通りすぎた。 その・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
出典:青空文庫