・・・ また河水が流れ込んでも海が溢れない訳を説明する華厳経の文句がある。大海有四熾燃光明大宝。其性極熱。常能飲縮。百川所流無量大水。故大海無有増減。とある。大洋特に赤道下の大洋における蒸発作用の旺盛な有様を「詩」で云い現わしたと思えば、うま・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・秒時間に十八万六千マイルを走る光が一ヶ年かかって達する距離を単位にして測られるような莫大な距離をへだてて散布された天体の二つが偶然接近して新星の発現となる機会は、例えば釈迦の引いた譬喩の盲亀百年に一度大海から首を出して孔のあいた浮木にぶつか・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・いわゆる古典的統計法が原子物理学の大海に難破して、これに代わる新しい統計が発明されても、それとこれとの関係もそれぞれの意味もなかなかのみ込めない。それは別問題としたところで、私の眼前のガラスの水滴の合流をいかに統計的に取り扱ったらよいかと思・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・「大海に島もあらなくに海原のたゆとう波に立てる白雲」という万葉の歌に現われた「大海」の水はまた爾来千年の歳月を通してこの芭蕉翁の「荒海」とつながっているとも言われる。 もちろん西洋にも荒海とほぼ同義の言葉はある。またその言葉が多数の西洋・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかには・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・ 海広い懐の大海お前の際限ない胸を張れ!濤をあげよ。そして、息をのむ大洪水の瞬下に此あわれに 早老な女の心を溺れ死なせ。波頭に 白く まろく、また果かなく少女時代の夢のように泡立つ泡沫は新たに甦る私の前歯とは・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・イエニーの住む故郷の町トリエルを離れて、大海のようなベルリンへ行くことは、カールにとってたいして気が進まなかったらしい。カールはイエニーへの手紙に書いている。「ほかの時なら私を魅惑し、自然観察に亢奮させ、人生の喜びにもえさせたに違いない・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ケーテは何かの意味で、絵画という芸術の船を人生と歴史の大海へ漕ぎすすめた女流選手の一人なのである。 ケーテは一八六七年七月八日、東部プロイセンのケーニヒスベルクに生れた。父をカール・シュミット、母をケーテ・ループといい、娘ケーテの生れた・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 行けば行くほど広くなる谿は、いつの間にか、白楊や樫や、糸杉などがまるで、満潮時の大海のように繁って、その高浪の飛沫のように真白な巴旦杏の花が咲きこぼれている盆地になりました。 そして、それ等の樹々の奥に、ジュピタアでもきっと御存じ・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 暑い日がやや沈みかけて、涼風立つ頃、今まで只一色大海の様に白い泡をたぎらせて居た空はにわかに一変する。 細かに細かに千絶れた雲の一つ一つが夕映の光を真面に浴びて、紅に紫に青に輝き、その中に、黄金、白銀の糸をさえまじえて、思いもかけ・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫