・・・新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・沛然と大雨になり、無力な私も、思わぬところで御奉公できるかも知れない。私には、単衣はこの雨着物の他に、久留米絣のが一枚ある。これは、私の原稿料で、はじめて買った着物である。私は、これを大事にしている。最も重要な外出の際にだけ、これを着て行く・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・くむくあらわれ二三度またたいているうちにもうはや三島は薄暗くなってしまい、水気をふくんだ重たい風が地を這いまわるとそれが合図とみえて大粒の水滴が天からぽたぽたこぼれ落ち、やがてこらえかねたかひと思いに大雨となった。次郎兵衛は大社の大鳥居のま・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ そこへ行くとさすがに都会の人の冷淡さと薄情さはサッパリしていて気持ちがいい。大雨の中を頭からぬれひたって銀座通りを歩いていてもだれもとがめる人もなければ、よけいな心配をする人もない。万一受けた親切の償却も簡易な方法で行なわれる。 ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・幸いに大雨でも降り出すか、あるいは川か海か野へでも焼け抜けてしまわない限り鎮火することは到底困難であろうと考えられる。それで函館の場合にも必ず何かしら異常な事情の存在したために最初の五分間に間に合わなかったのではないかと想像しないわけにはゆ・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・一日大雨がふって霧が渦巻き、仕事も何もできないので、みんな小屋にこもって寝ていた時、藤野の手帳が自分のそばに落ちていたのをなんの気なしに取り上げて開いて見たら、山におびただしいりんどうの花が一つしおりにはさんであって、いろんならく書きが・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 安は埋めた古井戸の上をば奇麗に地ならしをしたが、五月雨、夕立、二百十日と、大雨の降る時々地面が一尺二尺も凹むので、其の後は縄を引いて人の近かぬよう。私は殊更父母から厳しく云付けられた事を覚えて居る。今一つ残って居る古井戸はこれこそ私が・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 三十一日には、近年にない大雨で、私は、こんな大晦日ってあるものかと思い目をさましました。あなたも雨ふりの東京の大晦日は何かふさわしくなくお感じになったでしょう。雪ならわかるけど、ね。 夕方四時頃からいねちゃんのとこへ出かけようとし・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・山並の彼方から、憤りのようにムラムラと湧いた雲が、性急な馳足で鈍重な湖面を圧包むと、もう私共は真個に暗紅の火花を散らす稲妻を眺めながら、逆落しの大雨を痛い程体中に浴びなければなりません。其の驟雨は、いつも彼方にのっしりと居坐ったプロスペクト・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・階級の文学を、組合主義、目先の効用主義一点ばりで理解するように啓蒙されて来た人があるとすれば、その人は街の角々に貼り出されていた矢じるし目あてに機械的に歩かせられて来ていたようなものだから、一夜の大雨ですべての矢じるしが剥がれてしまったある・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
出典:青空文庫