・・・一生涯他へはお嫁入りをしない覚悟、私は尼になった気です。……もう、今からは怪我にだって、奥さんなんぞとおっしゃるなよ。おりくさん、おそのさん、更めてお詫をします。りく それでも、やっぱり奥さんですわ。ねえ、おそのさん。その ええ、そ・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
あかい雲、あかい雲、西の空の紅い雲。おらが乳母のおまんは、まだ年若いに、嫁入りの晩に、海の中に落ちて、あかい雲となった。おまん、おまん、まだ年若いに、あかい紅つけて、あかい帯し・・・ 小川未明 「あかい雲」
・・・なぜわいに黙って嫁入りしたんや」 と、新ちゃんは詰問した。かつて唇を三回盗まれたことがあり、体のことがなかったのは、たんに機会の問題だったと今さら口惜しがっている新ちゃんの肚の中などわからぬお君は、そんな詰問は腑に落ちかねたが、さすがに・・・ 織田作之助 「雨」
・・・たったひとつの嫁入り道具ですよ。キスするのです。」こともなげに笑っていた。 僕はいやな気がした。「おいやのようですね。けれども世の中はこんな工合いになっているのです。仕様がありませんよ。見ていると感心に花を毎日とりかえます。きのうは・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・いずれが真珠、いずれが豚、つくづく主客てんとうして、今は、やけくそ、お嫁入り当時の髪飾り、かの白痴にちかき情人の写真しのばせ在りしロケットさえも、バンドの金具のはて迄。すっからかん。与えるに、ものなき時は、安(とだけ書いて、ふと他のこと考え・・・ 太宰治 「創生記」
・・・おそらく祖母の嫁入り道具の一つであったかもしれない。あるいはまた曾祖母の使い慣れたのを大切に持ち伝えたものであったかもしれないのである。とにかく、祖母は自分の家にとついでからの何十年の間にこの糸車の取っ手をおそらく何千万回あるいはおそらくは・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・前夜の夕刊に青森県大鰐の婚礼の奇風を紹介した写真があって、それに紋付き羽織袴の男装をした婦人が酒樽に付き添って嫁入り行列の先頭に立っている珍妙な姿が写っている。これが自分の和服礼装に変相し、婚礼が法事に翻訳されたのかもしれない。紫色の服を着・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・郷里へ引上げると間もなく次姉は市から一里くらい西のA村に嫁入りをしたので、あとは全く静かな淋しい家庭であった。その以前から長姉の片付いていたB家が三軒置いた隣りにあって、そこには自分より一つ年上の甥が居たから、自分の幼時の多くの記憶はこの姉・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・不幸な嫁入り先から戻って来てそのような暮しをしている岡本から見ればふき子も陽子も仕合わせすぎて腹立たしい事もあろう。陽子は、世界が違う気楽な若者と暗闘する岡本の気持がわかるような気がした。 彼等は皆で海岸へ出た。海浜ホテルの前あたりには・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・女学校を卒業する人からの手紙で、一番心痛の種になっていることは、もっと何か勉強したい自分の心と、お嫁入りということだけを先に見ていて、洋裁でも稽古していればそれで十分だと考える親たちとの意見のくいちがいです。この二つの悩みのどっちをとってみ・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
出典:青空文庫