・・・、どうかするとばかに大きいのや堅びねりのが交じったり、線香の先で火のついたのを引き落として背中をころがり落とさせたりして、そうしてこっちが驚いておこるとよけいにおもしろがってそうするのではないかという嫌疑さえ起こさせるのであった。 南国・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・このダンサーは後に昔の情夫に殺されるための役割でこの喜劇に招集されたもので、それが殺されるのはその殺人罪の犯人の嫌疑をこの靴磨きの年とった方、すなわち浅岡了介に背負わせるという目的のために殺されなければならないことになっている。しかも、その・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・たとえば収賄の嫌疑で予審中でありながら○○議員の候補に立つ人や、それをまた最も優良なる候補者として推薦する町内の有志などの顔がそれである。しかしまた俗流の毀誉を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・どこに不忠の嫌疑を冒しても陛下を諫め奉り陛下をして敵を愛し不孝の者を宥し玉う仁君となし奉らねば已まぬ忠臣があるか。諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難。有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾以是為孝・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・夕化粧の襟足際立つ手拭の冠り方、襟付の小袖、肩から滑り落ちそうなお召の半纏、お召の前掛、しどけなく引掛に結んだ昼夜帯、凡て現代の道徳家をしては覚えず眉を顰めしめ、警察官をしては坐に嫌疑の眼を鋭くさせるような国貞振りの年増盛りが、まめまめしく・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 若き時は夫の親類友達等に打解けて語る可らず、如何なる必要あるも若き男に文通す可らずとは、嫌疑を避けるの意ならんけれども、婦人の心高尚ならんには形式上の嫌疑は恐るゝに足らず。我輩は斯る田舎らしき外面を装うよりも、婦人の思想を高き・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・警察では、わたくしに何の嫌疑もかけていない筈です。」「それならなぜ旅行届を出したりして遁げたのです。」 デストゥパーゴはやっと落ち着きました。「いや、おはいりください。詳しくお話しましょう。」 デストゥパーゴはさきに立って小・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・捜査のすすむにつれて三鷹の組合の副委員長をしている石井万治という人は嫌疑をかけられている書記長の自宅を訪問し、他所へつれて行って饗応し、ノートをひらいて、緊急秘密指令三百十一号、三百十八号というものをみせ、あなたのことについては骨を折るとい・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・その嫌疑、その告発によって人々は生命さえおびやかされた。戦争放棄した日本に、いつ、戦争に反対する行為が、犯罪であるとされることになったのだろう。軍隊のないはずの日本に、いつ反軍の犯罪というものが成り立つようになったのだろう。反戦・反軍という・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・ 菊池寛は英国文学の根柢にある常識性と彼が曾つて貧しい大学生として盗みの嫌疑さえかけられたような生活を経てきたのが年と共に度胸の据ったあのような常識を持つに至ったのであろう。 だから菊池の大衆文学には読者を「なるほどネ」といわせる力・・・ 宮本百合子 「“慰みの文学”」
出典:青空文庫