・・・上げれば――ええと――上げれば――学資? そうだ。その学資が入るでしょう。ね。だから中々苦しい事が多い……」と云うような文句のあった事を、かすかに覚えているからである。が、何も知らない中学生に向ってさえ、生活難を訴える――あるいは訴えない心・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 松野謹三、渠は去年の秋、故郷の家が焼けたにより、東京の学校を中途にして帰ったまま、学資の出途に窮するため、拳を握り、足を爪立てているのである。 いや、ただ学資ばかりではない。……その日その日の米薪さえ覚束ない生活の悪処に臨んで、―・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・(ちょっと順序を附 宗吉は学資もなしに、無鉄砲に国を出て、行処のなさに、その頃、ある一団の、取留めのない不体裁なその日ぐらしの人たちの世話になって、辛うじて雨露を凌いでいた。 その人たちというのは、主に懶惰、放蕩のため、世に見棄・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・唄ってくれと言われて、紅燃ゆる丘の花と校歌をうたったのだが、ふと母親のことを頭に泛べると涙がこぼれた。学資の工面に追われていた母親のことが今はじめて胸をちくちく刺した。その泪だった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛け・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 三年経てば、妹の道子は東京の女子専門学校を卒業する、乾いた雑布を絞るような学資の仕送りの苦しさも、三年の辛抱で済むのだと、喜美子は自分に言いきかせるのであった。 両親をはやく失って、ほかに身寄りもなく、姉妹二人切りの淋しい暮しだっ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・ そのわけはなんであろうか知りませんが、たぶん学資のことだろうと私は覚えています。そして私には木村が、たといあの時、故郷に帰らないでも、早晩、どこにか隠れてしまって、都会の人として人中に顔を出す人でないと思われます。木村が好んで出さない・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・母は叔母の家から私の学資を出さそうとしたらしゅうございました。これが都合よく参りませんものですから、私の立身を堅く信じながらも、ただそれは漠としたことで、実は内々ひどく心痛したものと見えます。それですから母としてはただ女難を戒しめるほかに私・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 岩波書店主茂雄君のお母さんは信濃の田舎で田畑を耕し岩波君の学資を仕送りした。たまに上京したとき岩波君がせめて東京見物させようと思っても、用事がすむとさっさと帰郷してしまった。息子を勉強させたいばかりに働いていたのだ。そして岩波君が志操・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・「豚を十匹ほど飼うたら、子供の学資くらい取られんこともないんじゃがな、……何にせ、ここじゃ、貧乏人は上の学校へやれんことにしとるせに、奉公にやったと云うとかにゃいかんて。」と、叔父は繰り返した。 おきのは、叔父の注意に従って、息子の・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・息子を農林学校へやる学資とするためだ。小作人から、自作農に成り上って行こうと、あがいている者も僕の親爺一人に止まらなかった。 又、S町の近くに田を持っていたあの松茸番の卯太郎は、一方の分を製薬会社の敷地に売って五千円あまりの金を握った。・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫