・・・私は高等学校一年の時、既に粋人たらむ事の不可能を痛感し、以後は衣食住に就いては専ら簡便安価なるものをのみ愛し続けて来たつもりなのである。けれども私は、その身長に於いても、また顔に於いても、あるいは鼻に於いても、確実に、人より大きいので、何か・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・これらの種類を列挙するのは本文の範囲以外になるから、これは他日に譲るとして、ここには専ら骨董趣味という点から見て二つの極端に位する二種の科学者を対照して見ようと思う。 科学者の中にはその専修学科の発達の歴史に特別の興味を有っている人が多・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・船の進むにつれて最早気味悪き音はやんで動揺はようやく始まりて早や胸悪きをじっと腹をしめて専ら小説に気を取られるように勉むればよう/\に胸静まり、さきの葡萄酒の酔心。ほっとしていつしか書中の人となりける。ボーイの昼食をすゝむる声耳に入りたれど・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・にドーミエーやゴヤやロートレークの或る作物をいずれの領分に配していいかを決定するのに迷うのである。ただ極端と極端とを対照する時に、「美」に専らなものと、「真」に忠なるがために狭義の美の境界線の内外に往還するものとの区別を認めて、後者を特に一・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・かくの如く都会における家庭の幽雅なる方面、町中の住いの詩的情趣を、専ら便所とその周囲の情景に仰いだのは実際日本ばかりであろう。西洋の家庭には何処に便所があるか決して分らぬようにしてある。習慣と道徳とを無視する如何に狂激なる仏蘭西の画家といえ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・であるとの噂が専らとなったので、江戸の町人は鳥さしの姿を見れば必不安の思をなしたというはなしである。わたくしが折々小石川の門巷を徘徊する鳥さしの姿を目にした時は、明治の世も既に十四五年を過ぎてはいたが、人は猶既往の風聞を説いて之を恐れ厭って・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・くなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・しかし関係を明める方を専らにする人は、明めやすくするために、味わう事のできない程度までにこの関係を抽象してしまうかも知れません。林檎が三つあると、三と云う関係を明かにさえすればよいと云うので、肝心の林檎は忘れて、ただ三の数だけに重きをおくよ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・而して彼は彼の『省察録』において専ら分析的方法を取ったという。何となれば、幾何学においては、その根本概念が感官的直観と一致するが故に、それは何人にも受入れられるが、形而上学的問題においては、最始の根本概念を明晰に判明に把握することが困難なの・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・君の亡くされたのは君の初子であった、初子は親の愛を専らにするが世の常である。特に幼き女の子はたまらぬ位に可愛いとのことである。情濃やかなる君にしてこの子を失われた時の感情はいかがであったろう。亡き我児の可愛いというのは何の理由もない、ただわ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫