・・・が、坪内君が『桐一葉』を書いた時は団十郎が羅馬法王で、桜痴居士が大宰相で、黙阿弥劇が憲法となってる大専制国であった。この間に立って論難批評したり新脚本を書いたりするはルーテルが法王の御教書を焼くと同一の勇気を要する。『桐一葉』は勿論『書生気・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・つまり、その戦争は、主として、封建的専制主義及び外国の支配拘束を取り除くことであった。それは進歩的戦争であった。又、イギリスに対して若し××が戦争を始めるとしたら、それは正当な、必要な戦争である。抑圧者、搾取者に対する、被圧迫階級の戦争には・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・無限の哀傷は恐ろしい専制時代の女子教育の感化が遺伝的に下町の無教育な女の身に伝っている事を知るがためである。無限の感謝は新時代の企てた女子教育の効果が、専制時代のそれに比して、徳育的にも智育的にも実用的にも審美的にも一つとして見るべきものの・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとするの議論は誠に貴ぶべしといえども、未だよくこの悪事の原因を求め尽したる者にあらざるが如し。そもそも一国の政府にもせよ、また会・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ すなわち東洋諸国専制流の慣手段にして、勝氏のごときも斯る専制治風の時代に在らば、或は同様の奇禍に罹りて新政府の諸臣を警しむるの具に供せられたることもあらんなれども、幸にして明治政府には専制の君主なく、政権は維新功臣の手に在りて、その主・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 一九三七年と云えば、中国への侵略戦争を拡大しながら日本の内部のあらゆる部面に軍事的な専制が強力にしかれはじめた時期であった。二・二六事件があったのが前年の三六年のことである。 一九三八年一月から中野重治と私と他に数人の評論家が、思・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・天皇制の「非常時」専制があんまり非人間的で苦しく、重圧にたえることに疲れたプロレタリア作家のある部分も「自由な自意識の確立」に魅惑された。この当時の状態をよむ人は計らず太宰治の生涯と文学とに対して、民主主義文学の陣営から、含蓄にとみながらそ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・らの部分で作者はきっと、思惟の当然の発展としてソヴェト同盟における社会主義的小学教育が全社会の前進とともに達成において新しい人間を生みつつあることや、または現在日本の文部省教育の腐敗は日本独特の封建的専制主義の重圧によるものであることなども・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 資本家地主の専制的な権力をよりあってかためている軍人華族ブルジョア反動教育家などの写真を何枚も見せられ、外国人の写真が出たから何かと見ると下に「人生の快事」と題して「人生にすべての苦難がなくなったときの索漠たる物寂しさを想像して見よ」・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・その後、フィレンツェ市が専制者メディチとの間に行わなければならなかった名誉ある闘い、その敗北の惨苦。一度はフィレンツェ市の防衛のためにサン・ミニアトの丘に立ったミケルアンジェロが、亡命者としてローマに止まり、人々をその悲痛さで撃つばかりのピ・・・ 宮本百合子 「現代の心をこめて」
出典:青空文庫