・・・少しずつの上り下りはあれど、ほとほと平なる路を西へ西へと辿り、田中の原、黒田の原とて小松の生いたる広き原を過ぎ、小前田というに至る。路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う。九時少・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・上れるだけ一足でも高く、境に繞らす竹垣の根まで、雑木の中をむりやりに上って、小松の幹を捉えて息を吐く。 白帆が見える。池のごとくに澄みきった黄昏の海に、白帆が一つ、動くともなく浮いている。藤さんの船に違いない。帆のない船はみんな漁船であ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照らされて樹脂中の揮発成分を放散するのであろう。この匂いを嗅ぐと、少年時代に遊び歩いた郷里の北山の夏の日の記憶が、一度に爆発・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ 岡村先生が亡くなって後は小松という医者の厄介になった。老先生と若先生と二人で患家を引受けていたが、老先生の方はでっぷりした上品な白髪のお茶人で、父の茶の湯の友達であった。たしか謡曲や仕舞も上手であったかと思う。若先生も典型的な温雅の紳・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・左に従い来る山々山骨黄色く現われてまばらなる小松ちびけたり。中に兜の鉢を伏せたらんがごとき山見え隠れするを向いの商人体の男に問う。何とか云いしも車の音に消されて判らず。再三問いかえせしも訛の耳なれぬ故か終にわからず。気の毒にもあり可笑しくも・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠 浅草下谷区内では○浅草新堀○御徒町忍川○天王橋かかりし鳥越川○白鬚橋瓦斯タンクの辺橋場のおもい川○千束町小松橋かかりし溝○吉原遊郭周囲の鉄漿溝○下谷二長町竹町辺の溝○三味線堀。その他なお・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 車は小松嶋という停留場につく。雨外套の職工が降りて車の中は、いよいよ広くなった。次に停車した地蔵阪というのは、むかし百花園や入金へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前の水門、本所の百本杭、代地の料理屋の桟橋、橋場の別荘の石垣、あるいはまた小松島、鐘ヶ淵、綾瀬川なぞの蘆の茂りの蔭に舟をつないで、代数や幾何・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・〔はあ、では一寸行って参ります。〕木の青、木の青、空の雲は今日も甘酸っぱく、足なみのゆれと光の波。足なみのゆれと光の波。粘土のみちだ。乾いている。黄色だ。みち。粘土。小松と林。林の明暗いろいろの緑。それに生徒はみんな新鮮だ。・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 庭に小松の繁茂した小高い砂丘をとり入れた、いかにも別荘らしい、家具の少ない棲居も陽子には快適そうに思われた。いくら拭いても、砂が入って来て艶の出ないという白っぽい、かさっとした縁側の日向で透きとおる日光を浴びているうちに陽子は、暫らく・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
出典:青空文庫