・・・が組織され、一九三六年には小松清によって、その前年の夏、パリに開かれた文化擁護のための「国際作家大会」と、その成果である同じ名の連盟の誕生が紹介された。これは一九三四年八月、モスクワで第一回文化擁護国際作家大会がもたれたとき、フランス代表と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・こういう有様であったから小松清が、第一回文化擁護国際作家大会の議事録を翻訳紹介して日本にも平和と文化を守る広い人民戦線運動をおこそうとしても、なんのまとまった運動にもならず、舟橋聖一、豊田三郎などの人々によって「能動精神」とか「行動主義の文・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・その行動性のモデルのようにゴンクール賞をとった『勝利者』という小説の翻訳が出ました。小松清氏というフランスにいたことのある人がホン訳したので、まだ二三頁をよんだにすぎませんがジャーナリスティックなものだし、又エキゾチシズムがつよい。フランス・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・舟橋聖一、小松清、豊田三郎の諸氏で、これらの人々は雑誌『行動』によって行動の文学を創らんとしたのであった。 彼等は作家のより広汎な社会生活と生活に対する積極性と若き時代のモラルとを自身に求めたのであった。けれども、第一これらの人々が社会・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・舟橋聖一、豊田三郎、小松清等の諸氏によって提唱されはじめた「行動主義文学」の理論である。 雑誌『行動』も発刊され、「行動主義」文学の提唱者は、「不安の文学」という合言葉の代りに、生活と文学とにおける「能動精神」の主張を以て現れたのである・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・同じウナギで儲けるにしろ、一方に大名式の「小松」というような店があり、一方に養殖ウナギのくさいのを「大衆的」にたべさせて儲けるニコウがあったのと同じようなものであった。 純文学の作品をのせる雑誌は多く綜合雑誌で、政治、社会、経済等に・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・『文化集団』では又、上述の二つの論文との対比によって、われわれに教えるところのある小松清氏の「ソ作家大会と新個人主義」という論文が発表されている。小松氏は第一回全ソ作家大会の重要性の一つは、かつて「ラップ」によって「ブルジョア自由主義も・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・四つばかり年下の従妹はまだ結婚前で、従弟たちと心も軽く身も軽く、小松の茂った砂丘の亭で笑いたわむれている。そのなかに打ち交わりながら、自分の苦悩がこの若い人たちとは無縁であること、そして、自分の苦しみは見っともなくて重苦しいことを何と切なく・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・さらに指導性について、各自意見の混乱を示している中で、阿部知二は、はっきりファッシズムに興味をもち、人にきいたり一生懸命研究してみるつもりであると断言しているし、フランスから新帰朝の小松清はジイドの文学的節操に感歎しつつ文学における性問題の・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 赤い小松 煤煙のためだか鉄道の線路に沿うた所に赤い小松を沢山見た。 背は低く横に広く好い形に育った小松がそのみどりの葉の所々を赤茶色に染めて居るのは木のために良い悪いなんかは別にしてただ奇麗なものだ、そして又極・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
出典:青空文庫