・・・その甘ったるい夕方の夢のなかで、わたくしはまだあの茶いろななめらかな昆布の干された、イーハトーヴォの岩礁の間を小舟に乗って漕ぎまわっていました。俄かに舟がぐらぐらゆれ、何でも恐ろしくむかし風の竜が出てきて、わたくしははねとばされて岩に投げつ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・人生の風波の間に、自分という可愛い小舟をホンローさせず、人間、女として自身の進路を見出してゆかなければならないと思います。 どうか皆さま、お元気に。よろこびが、あなたの前途にみちているように。苦しみと悲しみがあなたを囲んだとき、涙の・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・ 刻々と揉む歴史の濤頭は荒くて、ふるい女らしさの小舟はすでに難破していると思う。私たちは、近代の科学で設計され、動的で、快活で、真情に富んだ雄々しい明日の船出を準備しなければならないのだと思う。〔一九四〇年二月〕・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・は、一方が男であり一方が女であるのだから、その友情にどこやら恋の香りも漂っていそうに思われたり、恋愛と友情との境にある模糊とした感情の霞がひかれていて、きょうはそのあちら側へ、きのうはこちら側へと心の小舟の操られるサスペンスに、異性の友情の・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・そこではどっさりの大船小舟が船底をくさらせたり推進機に藻を生やしたりしているのはわかっていても、自分の小さい出来たもとの櫓や羅針盤にたよりきれないような思いがする。 ここに二人のひとがあって、一方は、所謂間違いのないという範囲で信用のあ・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ *あわれな、わが、こころ、歓びに躍り悲しみに打しおれいつも揺れる、波の小舟。高く耀き 照る日のように崇高にどうしていつもなれないだろう。あまりの大望なのでしょうか?神様。 ・・・ 宮本百合子 「五月の空」
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ回されることであった。それを護送するのは・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・信濃川にいでて見るに船橋断えたり。小舟にてわたる。豊野より汽車に乗りて、軽井沢にゆく。途次線路の壊れたるところ多し、又仮に繕いたるのみなれば、そこに来るごとに車のあゆみを緩くす。近き流を見るに、濁浪岸を打ちて、堤を破りたるところ少からず。さ・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・帆を張った二三十艘の小舟が群れをなして沖から帰って来る。そして鳩が地へ舞いおりるように、徐々に、一艘ずつ帆をおろして半町ほどの沖合いに屯した。岸との間には大きい白い磯波が巻き返している。いつのまにか薄穢ない老人と子供とが岸べに群がり立った。・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・ 寝たと思うとすぐに起こされたような感じで、朝はひどく眠かったが、宿の前から小舟に乗って淀川を漕ぎ出すと、気持ちははっきりしてきた。朝と言ってもまだまっ暗で、淀川がひどく漫々としているように見える。それを少し漕ぎ下ってから、舟は家と家と・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫